- Date: Wed 12 11 2014
- Category: 海外作家 ヤンソン(トーベ)
- Community: テーマ "児童文学" ジャンル "本・雑誌"
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トーベ・ヤンソン『ムーミン谷の仲間たち』(講談社文庫)
ムーミン・シリーズ第七作目の『ムーミン谷の仲間たち』を読む。ムーミン谷の様々なキャラクターたちをそれぞれ主人公にした、シリーズ唯一の短編集。収録作は以下のとおり。
「春のしらべ」
「ぞっとする話」
「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」
「世界でいちばんさいごのりゅう」
「しずかなのがすきなヘムレンさん」
「目に見えない子」
「ニョロニョロのひみつ」
「スニフとセドリックのこと」
「もみの木」

短編集ということで、やはり長篇とははずいぶん異なる印象をもった。
何というか作者の描写がずいぶん強烈で、それは長篇でも同じなのだが、ただ長篇の場合はゆったりと流れる時間の中にエピソードが溶けこみ、ほどよい濃淡を残しつつも中和され、独特のムードを醸し出すイメージなのだ。一方、短編はそういうオブラートの部分がなくて、作者の主張がそのままぶつけられる。
ただし、主張がそのままぶつけられるといっても、決してわかりやすいという話ではない。繰り返しになるが描写は強烈だし、スマートな起承転結があるわけでもない。そこから読者がおのおのメッセージを受け止めて咀嚼する必要があるのだ。
以下、作品ごとの感想。
「春のしらべ」は孤独な芸術家スナフキンの物語。自立と孤独が背中合わせであり、さらには友情と孤独のバランスの難しさを問うている。
「ぞっとする話」は嘘つきホムサ少年が、大人の現実の世界と子供の空想の世界の狭間で揺れ動く。毒をもって毒を制すがごとく、現実の厳しさを体現したミィという存在が、少年を新たなステージに導いていく。本作でのミィのキャラクターはとりわけ秀逸である。
比較的わかりやすい部類に入る「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」。物欲や慣習に縛られる人間の愚かさを描く。あえてフィリフヨンカという気弱なキャラクターを出すところに、作者ヤンソンの容赦のなさがうかがえる。怖いのぅ。
「世界でいちばんさいごのりゅう」はムーミントロールがこっそり飼おうとした小さな竜にまつわる話。ところが竜はスナフキンになついてしまい……。愛し愛されることは必ずしも互いに報われるわけではないという絶対的な事実。これは切ない。
北欧の個人主義を端的に表している「しずかなのがすきなヘムレンさん」。こういう自立する精神を、家族愛とは別の意味でヤンソンは非常に大事にしているのがわかる。とどのつまりはそのバランスが大切なんだけどね。
おばさんに皮肉を言われ続けて姿が消えてしまった女の子ニンニの話「目に見えない子」。表面的にはユーモラスだが、これまた深い。感情を失うということが、そのまま人間としての欠落であるということを示しているのだが、それは「怒り」といった、一見マイナスの感情もまた人間には必要なのだというメッセージ。
「ニョロニョロのひみつ」では放浪癖のあるムーミンパパがニョロニョロの秘密を知りたくて旅に出る。このシリーズはパパが絡むととりわけ哲学的になる傾向があるが、本作も自由やコミュニケーション、生き甲斐など、様々なテーマをひっくるめてテーゼとしている。
「スニフとセドリックのこと」は繰り返し語られることの多い物欲への戒めの物語である。相変わらず根暗のスニフと大人なスナフキン。ほぼ二人の会話だけで進む構成がいい味を出している。
「もみの木」は、ヘムレンさんの失敗で冬眠中のムーミン一家が目覚めてしまったところから幕を開ける。折しも村の人々はクリスマスの準備の真っ最中だったが、ムーミン一家は何のことやらわからず……。
ラストを飾るのにふさわしいユーモラスな一篇。ひどい話を書いても、ヤンソンは結局こういう形で一冊をまとめるから救われるのだ。
さて総括。全体的にアクの強さはシリーズ中でもトップクラス。それだけに本作は大人のための童話といった方がいいのかもしれない。ムーミン一家の登場する話は少ないし、失敗作という声もあるけれど、いやあ、これは悪くない。むしろ上位にもってきたい作品集だ。
「春のしらべ」
「ぞっとする話」
「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」
「世界でいちばんさいごのりゅう」
「しずかなのがすきなヘムレンさん」
「目に見えない子」
「ニョロニョロのひみつ」
「スニフとセドリックのこと」
「もみの木」

短編集ということで、やはり長篇とははずいぶん異なる印象をもった。
何というか作者の描写がずいぶん強烈で、それは長篇でも同じなのだが、ただ長篇の場合はゆったりと流れる時間の中にエピソードが溶けこみ、ほどよい濃淡を残しつつも中和され、独特のムードを醸し出すイメージなのだ。一方、短編はそういうオブラートの部分がなくて、作者の主張がそのままぶつけられる。
ただし、主張がそのままぶつけられるといっても、決してわかりやすいという話ではない。繰り返しになるが描写は強烈だし、スマートな起承転結があるわけでもない。そこから読者がおのおのメッセージを受け止めて咀嚼する必要があるのだ。
以下、作品ごとの感想。
「春のしらべ」は孤独な芸術家スナフキンの物語。自立と孤独が背中合わせであり、さらには友情と孤独のバランスの難しさを問うている。
「ぞっとする話」は嘘つきホムサ少年が、大人の現実の世界と子供の空想の世界の狭間で揺れ動く。毒をもって毒を制すがごとく、現実の厳しさを体現したミィという存在が、少年を新たなステージに導いていく。本作でのミィのキャラクターはとりわけ秀逸である。
比較的わかりやすい部類に入る「この世のおわりにおびえるフィリフヨンカ」。物欲や慣習に縛られる人間の愚かさを描く。あえてフィリフヨンカという気弱なキャラクターを出すところに、作者ヤンソンの容赦のなさがうかがえる。怖いのぅ。
「世界でいちばんさいごのりゅう」はムーミントロールがこっそり飼おうとした小さな竜にまつわる話。ところが竜はスナフキンになついてしまい……。愛し愛されることは必ずしも互いに報われるわけではないという絶対的な事実。これは切ない。
北欧の個人主義を端的に表している「しずかなのがすきなヘムレンさん」。こういう自立する精神を、家族愛とは別の意味でヤンソンは非常に大事にしているのがわかる。とどのつまりはそのバランスが大切なんだけどね。
おばさんに皮肉を言われ続けて姿が消えてしまった女の子ニンニの話「目に見えない子」。表面的にはユーモラスだが、これまた深い。感情を失うということが、そのまま人間としての欠落であるということを示しているのだが、それは「怒り」といった、一見マイナスの感情もまた人間には必要なのだというメッセージ。
「ニョロニョロのひみつ」では放浪癖のあるムーミンパパがニョロニョロの秘密を知りたくて旅に出る。このシリーズはパパが絡むととりわけ哲学的になる傾向があるが、本作も自由やコミュニケーション、生き甲斐など、様々なテーマをひっくるめてテーゼとしている。
「スニフとセドリックのこと」は繰り返し語られることの多い物欲への戒めの物語である。相変わらず根暗のスニフと大人なスナフキン。ほぼ二人の会話だけで進む構成がいい味を出している。
「もみの木」は、ヘムレンさんの失敗で冬眠中のムーミン一家が目覚めてしまったところから幕を開ける。折しも村の人々はクリスマスの準備の真っ最中だったが、ムーミン一家は何のことやらわからず……。
ラストを飾るのにふさわしいユーモラスな一篇。ひどい話を書いても、ヤンソンは結局こういう形で一冊をまとめるから救われるのだ。
さて総括。全体的にアクの強さはシリーズ中でもトップクラス。それだけに本作は大人のための童話といった方がいいのかもしれない。ムーミン一家の登場する話は少ないし、失敗作という声もあるけれど、いやあ、これは悪くない。むしろ上位にもってきたい作品集だ。
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