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ピエール・ルメートル『悲しみのイレーヌ』(文春文庫)
昨年、『その女、アレックス』で話題をさらったピエール・ルメートルの『悲しみのイレーヌ』を読む。著者のデビュー作にしてヴェルーヴェン警部シリーズの第一作だが、『~アレックス』以上の傑作という声も聞かれ、今年の各種ベストテンでも上位に名を連ねている。
まあ、先に『~アレックス』を読んだ身としては、本書の邦題を見ただけで陰々滅々な気分にしかならないわけだが、まあ、ここまで評判がいいからにはさっさと読んでおくしかあるまい。
こんな話。パリ警視庁に勤務するカミーユ・ヴェルーヴェン警部のもとへ、部下から緊急の連絡が入った。二人の女性が異様な手口で惨殺されるという事件が起こったのだ。カミーユは腹心の部下たちと捜査にとりかかるが、その手がかりは少なく捜査は難航する。ジャーナリストの取材攻勢も凄まじく、カミーユのイライラは募るばかりだが、そんな疲れを癒してくれるのが妻イレーヌの存在だった。
やがて第二の事件が発生するが、そのときカミーユは事件に共通する奇妙な共通点に気づくのだった……。

※以下、ネタバレには気をつけておりますが、作品の性質上、なかなか難しいところもあり、本書未読の方はご注意ください。
ははぁ、これはなんとまあ刺激的な作品であることか。 『その女、アレックス』の出来は決してフロックなどではなく、ルメートルはデビュー作からして、このレベルを書けるだけの力量があったのだ。
“刺激的”と書いたが、これはもちろん猟奇殺人やサイコパスを描いているからといった、表面的な理由では決してない。 ミステリを構成するする要素のひとつひとつにおいて様々なチャレンジを仕掛けてくる、その企てが刺激的なのである。各要素はそれほど斬新というわけではないのだが、その枠をなんとか破ろうとする意識はひしひしと伝わってきて、それが心地良いし、結果的にも非常に成功しているのだ。
具体例をあげると、まずは見立て殺人を扱っていること。マザーグースとか聖書、言い伝えなどをモチーフに、筋立てどおりりに行われる犯罪をミステリ用語で見立て殺人というが、本作はなんとミステリそのものを見立てているところがミソ。古今東西の有名なミステリ、犯罪小説をそのまま使うなど、普通は思いついたとしてもなかなかできるものではない。フランスの作家、しかもデビュー作だから可能だったのだろう。
また、この見立て殺人を見抜き、他の事件にまで可能性を探っていく部分は本作のハイライトのひとつ。警察小説ながら、この辺りは本格の味わいもあり、それが生きているからこそ本作は傑作となったのだと思う。
全体の構成も刺激的な要素のひとつである。プロットに凝る作家だというのは『その女、アレックス』やノンシリーズ『死のドレスを花婿に』で十分に学習してはいたが、まさかデビュー作からだとは。
さすがに『~アレックス』のようなメインディッシュとまではいかないし、絶対に必要な演出ではないのだけれど、著者はやらずにはいられないのだろう。マニア的な嗜好を感じられて興味深いところである。
そして、本作でもっとも刺激的なのは警察小説としての部分。より厳密に言うなら登場人物の造形だろう。『その女、アレックス』の感想でも書いたが、読むべきはプロットの妙よりも、むしろ個性的な刑事たちがどのような捜査活動を見せてくれるかにある。
最近、流行りの北欧系では徹底してシリアスな路線が多いけれども、本作でもシリアスはシリアスながらキャラクター造形にはそれなりのデフォルメがなされており、そのままだと滑稽になりかねないところを、チームプレイという形の中で程よく中和して独自のリアリティを創っているように思う。この匙加減が絶妙というか、コメディに陥ることなくスパイスとして最大限に生きるところで決めてくれているという印象なのである。
特に本作は第一作ということもあって、それがストーリー的にも効果を発揮していて素晴らしい。
ということで個人的には十分に満足できた一冊。『その女、アレックス』のような爆発力はないけれど、トータルではこちらのほうがミステリとしてのまとまりがよく、本書のほうがよりマニア好みな感じはする。
なお、ラストについては普通に嫌悪感を覚える人もいるだろうが、ここは著者のミステリに対する最大の問題提示でもあるし、これはこれでアリだろう。
この点について書き始めると長くなるのでさらっと流すけれど、読書は常に自己責任。ミステリは娯楽であるけれども、文学でもあるわけで、死や生命についての思想や文章と向き合う側面は常に孕んでいる。読者はその覚悟をもって読むべきである。ましてや本作では著書のメッセージはかなり明確に打ち出されているし、管理人などはシリーズ一作目でこれをやった著者の決断を評価したい。
まあ、先に『~アレックス』を読んだ身としては、本書の邦題を見ただけで陰々滅々な気分にしかならないわけだが、まあ、ここまで評判がいいからにはさっさと読んでおくしかあるまい。
こんな話。パリ警視庁に勤務するカミーユ・ヴェルーヴェン警部のもとへ、部下から緊急の連絡が入った。二人の女性が異様な手口で惨殺されるという事件が起こったのだ。カミーユは腹心の部下たちと捜査にとりかかるが、その手がかりは少なく捜査は難航する。ジャーナリストの取材攻勢も凄まじく、カミーユのイライラは募るばかりだが、そんな疲れを癒してくれるのが妻イレーヌの存在だった。
やがて第二の事件が発生するが、そのときカミーユは事件に共通する奇妙な共通点に気づくのだった……。

※以下、ネタバレには気をつけておりますが、作品の性質上、なかなか難しいところもあり、本書未読の方はご注意ください。
ははぁ、これはなんとまあ刺激的な作品であることか。 『その女、アレックス』の出来は決してフロックなどではなく、ルメートルはデビュー作からして、このレベルを書けるだけの力量があったのだ。
“刺激的”と書いたが、これはもちろん猟奇殺人やサイコパスを描いているからといった、表面的な理由では決してない。 ミステリを構成するする要素のひとつひとつにおいて様々なチャレンジを仕掛けてくる、その企てが刺激的なのである。各要素はそれほど斬新というわけではないのだが、その枠をなんとか破ろうとする意識はひしひしと伝わってきて、それが心地良いし、結果的にも非常に成功しているのだ。
具体例をあげると、まずは見立て殺人を扱っていること。マザーグースとか聖書、言い伝えなどをモチーフに、筋立てどおりりに行われる犯罪をミステリ用語で見立て殺人というが、本作はなんとミステリそのものを見立てているところがミソ。古今東西の有名なミステリ、犯罪小説をそのまま使うなど、普通は思いついたとしてもなかなかできるものではない。フランスの作家、しかもデビュー作だから可能だったのだろう。
また、この見立て殺人を見抜き、他の事件にまで可能性を探っていく部分は本作のハイライトのひとつ。警察小説ながら、この辺りは本格の味わいもあり、それが生きているからこそ本作は傑作となったのだと思う。
全体の構成も刺激的な要素のひとつである。プロットに凝る作家だというのは『その女、アレックス』やノンシリーズ『死のドレスを花婿に』で十分に学習してはいたが、まさかデビュー作からだとは。
さすがに『~アレックス』のようなメインディッシュとまではいかないし、絶対に必要な演出ではないのだけれど、著者はやらずにはいられないのだろう。マニア的な嗜好を感じられて興味深いところである。
そして、本作でもっとも刺激的なのは警察小説としての部分。より厳密に言うなら登場人物の造形だろう。『その女、アレックス』の感想でも書いたが、読むべきはプロットの妙よりも、むしろ個性的な刑事たちがどのような捜査活動を見せてくれるかにある。
最近、流行りの北欧系では徹底してシリアスな路線が多いけれども、本作でもシリアスはシリアスながらキャラクター造形にはそれなりのデフォルメがなされており、そのままだと滑稽になりかねないところを、チームプレイという形の中で程よく中和して独自のリアリティを創っているように思う。この匙加減が絶妙というか、コメディに陥ることなくスパイスとして最大限に生きるところで決めてくれているという印象なのである。
特に本作は第一作ということもあって、それがストーリー的にも効果を発揮していて素晴らしい。
ということで個人的には十分に満足できた一冊。『その女、アレックス』のような爆発力はないけれど、トータルではこちらのほうがミステリとしてのまとまりがよく、本書のほうがよりマニア好みな感じはする。
なお、ラストについては普通に嫌悪感を覚える人もいるだろうが、ここは著者のミステリに対する最大の問題提示でもあるし、これはこれでアリだろう。
この点について書き始めると長くなるのでさらっと流すけれど、読書は常に自己責任。ミステリは娯楽であるけれども、文学でもあるわけで、死や生命についての思想や文章と向き合う側面は常に孕んでいる。読者はその覚悟をもって読むべきである。ましてや本作では著書のメッセージはかなり明確に打ち出されているし、管理人などはシリーズ一作目でこれをやった著者の決断を評価したい。
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