Posted
on
山川方夫『親しい友人たち』(創元推理文庫)
山川方夫の『親しい友人たち』を読む。
本書は山川方夫の歿後五十年を記念して創元推理文庫から出版された一冊。山川方夫は純文学畑の作家だが、ショートショートという形式や幻想的な作品が多いことから、その印象はむしろミステリや幻想文学に近い。
実際、「ヒッチコック・マガジン」などのミステリ雑誌でも短編を連載していたことがあるほどで、そんな作家のミステリ的業績をまとめた本書はなかなか嬉しい一冊である。
収録作は以下のとおり。大きく三つのパートに分かれており、〈親しい友人たち〉はかつて「ヒッチコック・マガジン」に連載された短編群。〈トコという男〉は「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に発表されたエッセイ風連作。「十三年」以下の短編はその他のミステリ風味の強いものという構成である。
〈親しい友人たち〉
「待っている女」
「恐怖の正体」
「博士の目」
「赤い手帖」
「蒐集」
「ジャンの新盆」
「夏の葬列」
「はやい秋」
「非情な男」
「菊」
「メリイ・クリスマス」
「愛の終わり」
〈トコという男〉
「動物の秘密」
「デパートにて」
「二人の同一人物」
「アルス・アマトリア」
「人間の条件」
「ヘンな日本人」
「嘘八百の真実」
「”健全な心配”」
「行動の理由」
「”恐怖”のプレゼント」
「十三年」
「お守り」
「ロンリー・マン」
「箱の中のあなた」
「予感」
「暑くない夏」
「トンボの死」
「あるドライブ」
「三つの声」
「頭上の海」
「他人の夏」

実はまとめて山川方夫の作品を読むのは初めてである。アンソロジー等で短編をいくつか読んではいたが、いかんせん派手さに欠けるので、そういう場ではどうしても分が悪い。ところがまとめて読んだことで、山川方夫の魅力にあらためて気づかされた。
その魅力のひとつは、やはりショートショートというスタイルにある。
いわゆるショートショートといえば思い出されるのが星新一だが、山川方夫の作品は星新一のそれほどオチやキレがあるわけではない。強いていえば”奇妙な味”に近いのだけれど、それともまた少し違う。どちらかといえば読後に物語を思わず反芻してしまうような、心に引っ掛かりを与えてくれるタイプの作品なのだ。
そして、その引っ掛かりを与えてくれるのが、もうひとつの魅力ともいえる著者の批評的なセンスではなかろうか。常に著者が物語を外から観察しているようなところがあり、クールで緻密な文体からもそれはうかがえる。たとえ一人称であってもそれは同様。もしかすると著者の「三田文学」編集長という経験がそうさせたのかもしれない。
ときにはそういった批評性が勝ちすぎるというか、どうにもノレない話もあったりするのだが(たとえば〈トコという男〉は全般的に理屈っぽすぎてちょっと勘弁)、それ以外は山川方夫の魅力を十分に堪能することができる。
マイ・フェイバリットは、ベタではあるがやはり「夏の葬送」。戦争の悲惨さと人間の根源的な部分への問いかけを、こうしたエンターテインメント的に仕上げてしまうテクニックに脱帽である。哀しいのに面白く、確かな批評性と味わいが両立する逸品。
本書は山川方夫の歿後五十年を記念して創元推理文庫から出版された一冊。山川方夫は純文学畑の作家だが、ショートショートという形式や幻想的な作品が多いことから、その印象はむしろミステリや幻想文学に近い。
実際、「ヒッチコック・マガジン」などのミステリ雑誌でも短編を連載していたことがあるほどで、そんな作家のミステリ的業績をまとめた本書はなかなか嬉しい一冊である。
収録作は以下のとおり。大きく三つのパートに分かれており、〈親しい友人たち〉はかつて「ヒッチコック・マガジン」に連載された短編群。〈トコという男〉は「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に発表されたエッセイ風連作。「十三年」以下の短編はその他のミステリ風味の強いものという構成である。
〈親しい友人たち〉
「待っている女」
「恐怖の正体」
「博士の目」
「赤い手帖」
「蒐集」
「ジャンの新盆」
「夏の葬列」
「はやい秋」
「非情な男」
「菊」
「メリイ・クリスマス」
「愛の終わり」
〈トコという男〉
「動物の秘密」
「デパートにて」
「二人の同一人物」
「アルス・アマトリア」
「人間の条件」
「ヘンな日本人」
「嘘八百の真実」
「”健全な心配”」
「行動の理由」
「”恐怖”のプレゼント」
「十三年」
「お守り」
「ロンリー・マン」
「箱の中のあなた」
「予感」
「暑くない夏」
「トンボの死」
「あるドライブ」
「三つの声」
「頭上の海」
「他人の夏」

実はまとめて山川方夫の作品を読むのは初めてである。アンソロジー等で短編をいくつか読んではいたが、いかんせん派手さに欠けるので、そういう場ではどうしても分が悪い。ところがまとめて読んだことで、山川方夫の魅力にあらためて気づかされた。
その魅力のひとつは、やはりショートショートというスタイルにある。
いわゆるショートショートといえば思い出されるのが星新一だが、山川方夫の作品は星新一のそれほどオチやキレがあるわけではない。強いていえば”奇妙な味”に近いのだけれど、それともまた少し違う。どちらかといえば読後に物語を思わず反芻してしまうような、心に引っ掛かりを与えてくれるタイプの作品なのだ。
そして、その引っ掛かりを与えてくれるのが、もうひとつの魅力ともいえる著者の批評的なセンスではなかろうか。常に著者が物語を外から観察しているようなところがあり、クールで緻密な文体からもそれはうかがえる。たとえ一人称であってもそれは同様。もしかすると著者の「三田文学」編集長という経験がそうさせたのかもしれない。
ときにはそういった批評性が勝ちすぎるというか、どうにもノレない話もあったりするのだが(たとえば〈トコという男〉は全般的に理屈っぽすぎてちょっと勘弁)、それ以外は山川方夫の魅力を十分に堪能することができる。
マイ・フェイバリットは、ベタではあるがやはり「夏の葬送」。戦争の悲惨さと人間の根源的な部分への問いかけを、こうしたエンターテインメント的に仕上げてしまうテクニックに脱帽である。哀しいのに面白く、確かな批評性と味わいが両立する逸品。
涼さん
ミステリ的な技巧を用いることが多いので、氏の作品は全般に純文学とのボーダーライン、もしくは融合のような感じが強いですね。とりわけ「夏の葬列」はどんでん返しも効いているだけに、どちらの側からみても傑作ですよね。
ただ、厳密にはやはり純文学ではないかと思います。
Posted at 10:34 on 04 24, 2016 by sugata