- Date: Sat 10 09 2016
- Category: 海外作家 インドリダソン(アーナルデュル)
- Community: テーマ "推理小説・ミステリー" ジャンル "本・雑誌"
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アーナルデュル・インドリダソン『声』(東京創元社)
アーナルデュル・インドリダソンの『声』を読む。
『湿地』、『緑衣の女』が各種年間ベストテンを賑わし、日本での人気もすっかり定着した感があるアイスランドのミステリ作家、アーナルデュル・インドリダソン。本作は彼の代表的シリーズであるエーレンデュル警部ものの五作目にあたる。ただし、日本ではシリーズの三作目から紹介されているので、我が国ではこれが第三弾ということになる。
まずはストーリー。
クリスマスシーズンのさなか、観光客で賑わうレイキャビクのホテルで殺人事件が発生する。被害者はホテルのドアマン、グドロイグル・エーギルソン。彼は住み込みの従業員としてホテルの地下室で暮らしていたが、その狭い地下の一室で、サンタクロースの扮装をしたまま、ナイフのようなものでメッタ刺しにされていた。
捜査に訪れたエーレンデュル警部はさっそくホテル関係者に聞き込みを開始する。ところが二十年あまり住み込みで働いていたにしては、誰もグドロイグルの詳しい素性を知らない。しかし、エーレンデュルは彼らが知らないのではなく、何かを隠しているような印象も受ける。
そんななか、ひとつの手がかりが浮かぶ。宿泊客であるレコード収集家のイギリス人から、グドロイグルが子供の頃、有名なボーイソプラノの歌手だったことを知らされたのだ……。

これは絶品。じわじわくる。過去二作品と比べても遜色なく、いやむしろこれまでのベストではないだろうか。
のっけから少し話が逸れてしまうが、個人的な北欧ミステリのざくっとした印象をいうと、"社会問題に起因する犯罪を扱い、これに主人公や登場人物など個人の問題も絡ませて、多重的にその国が抱える課題や人の在り方について追求していくミステリ”といったところである。
もちろん他にも多様なミステリはあるだろうけれど、今の日本で人気を博している北欧ミステリは、だいたいがこの類ではなかろうか。
本作ではかなり個に寄った印象を受けるものの、インドリダソンの作品もまた、この範疇から外れてはいない。
こんな風に書くと、退屈な作品という印象を与えてしまうかもしれないが、それは誤解である。確かに事件はいたって地味なものだし、表面的なストーリーの起伏も少ない。まあ、もともと地味なシリーズではあるが、本作はとりわけ地味。なんせ舞台はほぼホテルに限られ(捜査の間、エーレンデュルまでホテルに泊まる始末である)、ストーリーなどほとんど聞き込み捜査に終始している。
そんな作品なのに、これが凄いのである。インドリダソンはこの一見地味なストーリーを、恐ろしく高いレベルで物語として昇華させ、静かな感動を与えてくれるのだ。
元スターだった被害者はなぜ人生を転落し、哀れな最期を遂げたのか。彼の素顔と人生が明らかになると同時に、彼の抱えていた闇もまた明らかになってゆく。しかもその過程で関係者に秘められた様々な問題も浮き彫りになるのだが、それらをつなぐキーワードが家族である。
被害者グドロイグルの家族、サブ事件として同時進行する家庭内暴力事件の家族、ホテルの従業員の家族、刑事たちの家族……そして極めつきはエーレンデュル警部の家族。様々な家族の物語がときには重なり、ときには比較されて語られてゆく。ストーリーは地味だが、プロットは計算され、重層的である。
インドリダソンを褒めるとき、どうしてもその雰囲気や世界観に目を向けてしまうが、決してセンスだけで勝負している作家ではない。
特に本作で秀逸なのは、エーレンデュル警部自身の物語を強烈に放り込んできたことだろう。
エーレンデュルとその娘の関係は過去二作で明らかになっており、本作でも危うい状況は決して変わっていない。歩み寄れない理由は娘のせいだけではなく、娘の前にどこかガードを固めてしまうエーレンデュルにも原因はあるのだが、その原因がどこにあるのか、彼本人も自覚していないのである。
本作ではそんなエーレンデュル自身が抱える闇について、これまでは比較的曖昧な説明にしていた彼と家族の障害となっていたものの正体を明らかにする。それはエーレンデュルが子供の頃の、やはり”家族の物語”だったのだ。
エーレンデュル警部もまた、本作の被害者同様、過去に縛られている人間なのである。
インドリダソンはエーレンデュルを通して、過去に何があったのかを読者の前に提示する。それが今にどうつながり、これからどう向かっていくべきか。簡単なことではないけれど、インドリダソンは一作ごとに少しずつその答えを導き出そうとしている。
『湿地』、『緑衣の女』が各種年間ベストテンを賑わし、日本での人気もすっかり定着した感があるアイスランドのミステリ作家、アーナルデュル・インドリダソン。本作は彼の代表的シリーズであるエーレンデュル警部ものの五作目にあたる。ただし、日本ではシリーズの三作目から紹介されているので、我が国ではこれが第三弾ということになる。
まずはストーリー。
クリスマスシーズンのさなか、観光客で賑わうレイキャビクのホテルで殺人事件が発生する。被害者はホテルのドアマン、グドロイグル・エーギルソン。彼は住み込みの従業員としてホテルの地下室で暮らしていたが、その狭い地下の一室で、サンタクロースの扮装をしたまま、ナイフのようなものでメッタ刺しにされていた。
捜査に訪れたエーレンデュル警部はさっそくホテル関係者に聞き込みを開始する。ところが二十年あまり住み込みで働いていたにしては、誰もグドロイグルの詳しい素性を知らない。しかし、エーレンデュルは彼らが知らないのではなく、何かを隠しているような印象も受ける。
そんななか、ひとつの手がかりが浮かぶ。宿泊客であるレコード収集家のイギリス人から、グドロイグルが子供の頃、有名なボーイソプラノの歌手だったことを知らされたのだ……。

これは絶品。じわじわくる。過去二作品と比べても遜色なく、いやむしろこれまでのベストではないだろうか。
のっけから少し話が逸れてしまうが、個人的な北欧ミステリのざくっとした印象をいうと、"社会問題に起因する犯罪を扱い、これに主人公や登場人物など個人の問題も絡ませて、多重的にその国が抱える課題や人の在り方について追求していくミステリ”といったところである。
もちろん他にも多様なミステリはあるだろうけれど、今の日本で人気を博している北欧ミステリは、だいたいがこの類ではなかろうか。
本作ではかなり個に寄った印象を受けるものの、インドリダソンの作品もまた、この範疇から外れてはいない。
こんな風に書くと、退屈な作品という印象を与えてしまうかもしれないが、それは誤解である。確かに事件はいたって地味なものだし、表面的なストーリーの起伏も少ない。まあ、もともと地味なシリーズではあるが、本作はとりわけ地味。なんせ舞台はほぼホテルに限られ(捜査の間、エーレンデュルまでホテルに泊まる始末である)、ストーリーなどほとんど聞き込み捜査に終始している。
そんな作品なのに、これが凄いのである。インドリダソンはこの一見地味なストーリーを、恐ろしく高いレベルで物語として昇華させ、静かな感動を与えてくれるのだ。
元スターだった被害者はなぜ人生を転落し、哀れな最期を遂げたのか。彼の素顔と人生が明らかになると同時に、彼の抱えていた闇もまた明らかになってゆく。しかもその過程で関係者に秘められた様々な問題も浮き彫りになるのだが、それらをつなぐキーワードが家族である。
被害者グドロイグルの家族、サブ事件として同時進行する家庭内暴力事件の家族、ホテルの従業員の家族、刑事たちの家族……そして極めつきはエーレンデュル警部の家族。様々な家族の物語がときには重なり、ときには比較されて語られてゆく。ストーリーは地味だが、プロットは計算され、重層的である。
インドリダソンを褒めるとき、どうしてもその雰囲気や世界観に目を向けてしまうが、決してセンスだけで勝負している作家ではない。
特に本作で秀逸なのは、エーレンデュル警部自身の物語を強烈に放り込んできたことだろう。
エーレンデュルとその娘の関係は過去二作で明らかになっており、本作でも危うい状況は決して変わっていない。歩み寄れない理由は娘のせいだけではなく、娘の前にどこかガードを固めてしまうエーレンデュルにも原因はあるのだが、その原因がどこにあるのか、彼本人も自覚していないのである。
本作ではそんなエーレンデュル自身が抱える闇について、これまでは比較的曖昧な説明にしていた彼と家族の障害となっていたものの正体を明らかにする。それはエーレンデュルが子供の頃の、やはり”家族の物語”だったのだ。
エーレンデュル警部もまた、本作の被害者同様、過去に縛られている人間なのである。
インドリダソンはエーレンデュルを通して、過去に何があったのかを読者の前に提示する。それが今にどうつながり、これからどう向かっていくべきか。簡単なことではないけれど、インドリダソンは一作ごとに少しずつその答えを導き出そうとしている。
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実にいいシリーズですよね。関係者の様々なエピソードを見せて、そのキーワードたる”家族”を見事に炙り出していくプロットが見事です。一作目と二作目も好きですが、個人的には本作がベストです。