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 初詣に行く。三日ともなるとさすがに混雑も解消されていて、数分で終了する。気持ち的にはやはり一日にしたいのだが、一時間以上寒風の中で並ぶのも嫌だしなぁ。その後は家で寝て食って飲んで、そうこうしているうちに休暇終了。

 シリーズの掉尾を飾る『ナルニア国物語 さいごの戦い』を読む。
 ナルニア国で最大の、そして最後の戦いが起こり、ナルニアは滅びるわけだが、それは同時に新たな真のナルニアの始まりでもある。破壊と再生という、もうあからさまな宗教的寓話になっている最終巻であり、それは十分想定の範囲内なのだが(この言葉もそろそろ死語っぽくなってきたな)、気になる描写がいくつかあった。
 実は今までの作品にもあることはあったのだが、本作は最終話ということもあって、よりそれが顕著になっている気がする。

 まずは、過去の登場人物たちが勢揃いする本作において、ピーターたち兄妹の中にスーザンの姿がないことである。もちろんこれは意図的に外されたもので、彼女はいわゆるお年頃の女性になり、ファッションや恋愛に夢中で、ナルニアを忘れてしまったのだ。ポリーをして「スーザンには、本当におとなになってもらいたいものね。あのひとは、いまの年ぐらいに早くなりたがって、学校に通っているころを台なしにしてしまったし、また、今の年のままでいたくて、これからさきの一生を台なしにしてしまうでしょうよ。(以下略)」と言わしめているのはなんとも。
 要は信仰に対する挫折とでもいおうか。まあ、よくある類の話ではあるが、それにしても端役ならわかるけど、本作の主人公の立派な一人であるはずの彼女を、ここまで厳しく扱うとは。読者である子供たちへのメッセージとしては、これはなかなか強烈ではないか。『カスピアン王子のつのぶえ』では、失敗を犯したものの、そこから立ち直ったというエピソードも書かれているだけに、いったいあれは何だったのかという思いが強くなる。
 逆に言うと、そういう経験を持つ者であっても道は踏み外しやすいのだから、しっかり忘れないように、という教訓なのだろうが……ううーん、やっぱり厳しいなぁ。

 さて、もうひとつ気になったのは小人たちの存在である。
 善と悪、まっぷたつに分かれた軍勢が戦う中で、小人たちだけがどちらにもつかず、双方に攻撃をしかけるシーン。また、アスランが彼らに幻影を見せて反応をみなに見せるシーン。細かい描写は省略するが、これらのシーンでの小人はおそらく無宗教な人々、あるいは宗教に対して懐疑的な人々の役割を与えられているはずだ。
 例えばテロを犯したり、お布施と称して莫大な金額をだましとろうとするカルト団体などを見てしまうと、現代人は宗教の持つ恐ろしさばかりに注目する。これは当然。だが、そうやって意固地にすべてを拒否してしまうと、本当に大切なものまで(もちろんキリスト教のこと)見失ってしまうぞ、という理屈だ。
 このようにルイスは人生における宗教の働きについて、絶対的な信念を持っているのだが、それがときには勇み足のようにも感じられてしまうのである。これが宗教全般のことならまだいいのだが、おそらくは本作でナルニアに対するカロールメンの神タシの扱いを見てもわかるように、キリスト教が一番であるという傲慢な意識もうかがえる。世の小人ーー私もその部類に入りそうだ(笑)ーーは、物語は素直に楽しめても、この最終話のアクの強さには少し抵抗があるだろう。信仰の道に入らない者は価値の無い人生しか送れないのか? 悲しいかな、ルイスの主張の方がより偏狭に感じられる。
 ただ、だからといってシリーズの価値を貶めるつもりは毛頭無いし、ナルニア国物語は児童文学の傑作といってよい。物語にはテーマがあってしかるべきだし、ルイスの視点がしっかりしているからこそ、物語にも奥行きがあり、広がりが生まれたわけである。ただ、ひとつ言えるのは、やはりナルニア国物語は、子供の頃に読んでおくべきだ。元々裏読みしやすい話だけに、純粋に楽しめるのはやはり子供のうちだけではないだろうか。


テーマ:児童文学 - ジャンル:本・雑誌




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