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グスタボ・ファベロン=パトリアウ『古書収集家』(水声社)
グスタボ・ファベロン=パトリアウの『古書収集家』を読む。
馴染みのない著者名だが、なんと作者はペルー出身。帯の惹句には「ジャーナリスト、編集者でもある言語学者が、北米産ミステリーと60年代南米小説の実験精神を融合させた驚異のデビュー作!」とあり、刊行当時(2007年水声社より発売)から気になって買っておいたものである。先日の『埴原一亟 古本小説集』を読んだせいか、ふと本書の存在を思い出し、手に取ってみた次第。
惹句では60年代南米小説(マジックリアリズムを打ち出した作品群だと思うが)とミステリの融合みたいなことをを謳っているが、実際の話そんなに上手くはいかないだろうからそれは話半分としても、近いところだとボルヘスの『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』あたりを想像していたのだが、さてその内容はいかに?

こんな話。語り手=「私」は大学時代の友人ダニエルから昼食の誘いがあり、入院中の病院へ向かう。ダニエルは三年前に婚約者のフリアナを殺害し、心神喪失での犯罪ということで刑務所ではなく精神病院に収監されていたのだ。
ダニエルは病院での生活や事件の中身を説明し、「私」に助けを求める。「私」はかつてダニエルが数少ない交流をしていた古書仲間を訪ね、話を聞いてまわるのだが……。
本作は大きく二つの柱で構成されている。偶数章ではダニエルの語り、奇数章ではダニエルの古書仲間の語りという具合で、「私」がこれらの話を聞いていくなかで、事件を再構築して真実を探り当てる……となればこれはもう立派にミステリといってもいいのだが、そう簡単にはいかない。
なんせダニエルを含め、登場人物の語る話は事件以外のことも多く、それがまた異様なエピソードばかりなのである。人体の密売とか、手品師がゴンドラで閉じ込もって頭がおかしくなった話とか、発育不全の息子を自分が小さく感じさせない函に幽閉するとか、いってみればことごとく狂気に彩られたアラビアンナイトという有様。このひとつひとつの挿話が十分短編として読みたくなるようなレベルの話なので、幻想小説や実験小説、マジックリアリズムあたりが好きな人には堪えられない部分。というか、本書の読みどころは結局そこなのだろう。
さまざまな形の狂気を手を変え品を変えて描くことで、個人の狂気というよりはこの世界が内包する狂気や闇といったものを強く感じさせる。
ちょっと戸惑ったのは、それまでの幻想小説・実験小説的な空気が、ラストに至って急にミステリの謎解きっぽくまとまってしまうところだ。これがまた意外と理にかなったもので、これまでの狂気の挿話の数々がいったい何だったのかと思うぐらいちゃんとした着地を決めている。ううむ、それならそれでもう少しストーリーを普通に流してくれれば、もっと多くの読者にもアピールできたのではないか。
まあ、60年代南米小説とミステリとの融合に関して、著者がどこまで真面目に考えていたかは不明なのだが、バランスがいいとはお世辞にもいえないのが惜しい。それぞれの要素ではかなり面白いだけにちょっともったいない作品である。
馴染みのない著者名だが、なんと作者はペルー出身。帯の惹句には「ジャーナリスト、編集者でもある言語学者が、北米産ミステリーと60年代南米小説の実験精神を融合させた驚異のデビュー作!」とあり、刊行当時(2007年水声社より発売)から気になって買っておいたものである。先日の『埴原一亟 古本小説集』を読んだせいか、ふと本書の存在を思い出し、手に取ってみた次第。
惹句では60年代南米小説(マジックリアリズムを打ち出した作品群だと思うが)とミステリの融合みたいなことをを謳っているが、実際の話そんなに上手くはいかないだろうからそれは話半分としても、近いところだとボルヘスの『ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件』あたりを想像していたのだが、さてその内容はいかに?

こんな話。語り手=「私」は大学時代の友人ダニエルから昼食の誘いがあり、入院中の病院へ向かう。ダニエルは三年前に婚約者のフリアナを殺害し、心神喪失での犯罪ということで刑務所ではなく精神病院に収監されていたのだ。
ダニエルは病院での生活や事件の中身を説明し、「私」に助けを求める。「私」はかつてダニエルが数少ない交流をしていた古書仲間を訪ね、話を聞いてまわるのだが……。
本作は大きく二つの柱で構成されている。偶数章ではダニエルの語り、奇数章ではダニエルの古書仲間の語りという具合で、「私」がこれらの話を聞いていくなかで、事件を再構築して真実を探り当てる……となればこれはもう立派にミステリといってもいいのだが、そう簡単にはいかない。
なんせダニエルを含め、登場人物の語る話は事件以外のことも多く、それがまた異様なエピソードばかりなのである。人体の密売とか、手品師がゴンドラで閉じ込もって頭がおかしくなった話とか、発育不全の息子を自分が小さく感じさせない函に幽閉するとか、いってみればことごとく狂気に彩られたアラビアンナイトという有様。このひとつひとつの挿話が十分短編として読みたくなるようなレベルの話なので、幻想小説や実験小説、マジックリアリズムあたりが好きな人には堪えられない部分。というか、本書の読みどころは結局そこなのだろう。
さまざまな形の狂気を手を変え品を変えて描くことで、個人の狂気というよりはこの世界が内包する狂気や闇といったものを強く感じさせる。
ちょっと戸惑ったのは、それまでの幻想小説・実験小説的な空気が、ラストに至って急にミステリの謎解きっぽくまとまってしまうところだ。これがまた意外と理にかなったもので、これまでの狂気の挿話の数々がいったい何だったのかと思うぐらいちゃんとした着地を決めている。ううむ、それならそれでもう少しストーリーを普通に流してくれれば、もっと多くの読者にもアピールできたのではないか。
まあ、60年代南米小説とミステリとの融合に関して、著者がどこまで真面目に考えていたかは不明なのだが、バランスがいいとはお世辞にもいえないのが惜しい。それぞれの要素ではかなり面白いだけにちょっともったいない作品である。