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イーデン・フィルポッツ『極悪人の肖像』(論創海外ミステリ)
イーデン・フィルポッツの『極悪人の肖像』を読む。
フィルポッツは普通小説も含め七十冊以上の作品を残した作家だが、ちょっと捻くれた見方をすると、それだけの著作があるからには人気はあったのだろうが、大量生産ゆえ中身はけっこうワンパターンなのではないかと邪推したくなる。
ところが、これまで翻訳されてきたフィルポッツのミステリ作品を読んで感じるのは、量産が利く無難な作風ではなく、むしろアクの強い作品が多いということ。もちろんアクが強いからといって、それがすべていい方向に転がるわけでもないし、凡庸で面白くない作品に終わったものもある。
だが「アク」となって感じられる部分は、作品におけるトゲ、気づきでもあり、それは同時に著者の試みや企てと見ることもできる。そういう意味でフィルポッツの作品は古臭いと感じることもあるけれど、決して見過ごせないのである。
本日の読了本『極悪人の肖像』もまた、そうしたアクの強い作品であった。

こんな話。ケンブリッジ大学で医学を修め、首席で卒業すると開業医をしながらリューマチの研究を続けるアーウィン・テンプル=フォーチュン。傍目には順風満帆な人生ながら、彼には秘めたる野望があった。
アーウィンの出身は、イングランド南西部に位置するファイアブレイスを統治する準男爵のテンプル=フォーチュン家。彼はその莫大な資産を狙っていたが、すべてを継承するには長兄である現当主のハリー、その息子ルパート、次兄のニコルが邪魔な存在だった。しかもアーウィンにすればハリーもニコルもただの俗物で、その資産を活用する器量もない。次第にアーウィンは三人の殺害計画を練るようになり……。
本作はアーウィンの一人称による回想の体をとる作品。もちろん上の粗筋のとおり、アーウィンは正義の側ではなく、犯罪を犯す側である。つまり本作は犯人を主役にした“倒叙もの”というわけだ。
とはいえ、いわゆる“倒叙もの”を期待すると当てが外れるだろう。倒叙ものの魅力はいろいろあるが、大抵の場合は、完全犯罪と思われた完璧な計画がどこから崩れていくのかという、その着眼にある。
しかし本作ではそういうトリッキーな仕掛けやゲーム性にほぼ見るべきところはない。ただ、それはイコール駄作ということではなく、実は本作の性質が“倒叙もの”ではなく、犯罪者の心理に主眼をおいた犯罪小説であるからだ。
実際、アーウィンの一人称はかなり特殊で、犯行手段などについての言及よりも、自らの哲学や思想を語ることに忙しい。もちろん、フィルポッツの狙いはここにあるわけで、優生思想すら感じさせるアーウィンの言動はかなり鼻につくけれども、だからこそ読者にいろいろと考えさせる作品になっているわけだ。
フィルポッツの作品はミステリという枠だけで考えるとどうしても評価が厳しくなってしまうが、本来ミステリ作家ではなかっただけに、別の観点で見ることは今後は必要なのかもしれない。
なお、ひとつだけミステリ的に面白かったのは、この犯行がばれるとすればどういう場合かと、犯人自ら推理するところ。真の意味での探偵役が出てこない作品だけに、こういう処理も悪くないなと思った次第である。
フィルポッツは普通小説も含め七十冊以上の作品を残した作家だが、ちょっと捻くれた見方をすると、それだけの著作があるからには人気はあったのだろうが、大量生産ゆえ中身はけっこうワンパターンなのではないかと邪推したくなる。
ところが、これまで翻訳されてきたフィルポッツのミステリ作品を読んで感じるのは、量産が利く無難な作風ではなく、むしろアクの強い作品が多いということ。もちろんアクが強いからといって、それがすべていい方向に転がるわけでもないし、凡庸で面白くない作品に終わったものもある。
だが「アク」となって感じられる部分は、作品におけるトゲ、気づきでもあり、それは同時に著者の試みや企てと見ることもできる。そういう意味でフィルポッツの作品は古臭いと感じることもあるけれど、決して見過ごせないのである。
本日の読了本『極悪人の肖像』もまた、そうしたアクの強い作品であった。

こんな話。ケンブリッジ大学で医学を修め、首席で卒業すると開業医をしながらリューマチの研究を続けるアーウィン・テンプル=フォーチュン。傍目には順風満帆な人生ながら、彼には秘めたる野望があった。
アーウィンの出身は、イングランド南西部に位置するファイアブレイスを統治する準男爵のテンプル=フォーチュン家。彼はその莫大な資産を狙っていたが、すべてを継承するには長兄である現当主のハリー、その息子ルパート、次兄のニコルが邪魔な存在だった。しかもアーウィンにすればハリーもニコルもただの俗物で、その資産を活用する器量もない。次第にアーウィンは三人の殺害計画を練るようになり……。
本作はアーウィンの一人称による回想の体をとる作品。もちろん上の粗筋のとおり、アーウィンは正義の側ではなく、犯罪を犯す側である。つまり本作は犯人を主役にした“倒叙もの”というわけだ。
とはいえ、いわゆる“倒叙もの”を期待すると当てが外れるだろう。倒叙ものの魅力はいろいろあるが、大抵の場合は、完全犯罪と思われた完璧な計画がどこから崩れていくのかという、その着眼にある。
しかし本作ではそういうトリッキーな仕掛けやゲーム性にほぼ見るべきところはない。ただ、それはイコール駄作ということではなく、実は本作の性質が“倒叙もの”ではなく、犯罪者の心理に主眼をおいた犯罪小説であるからだ。
実際、アーウィンの一人称はかなり特殊で、犯行手段などについての言及よりも、自らの哲学や思想を語ることに忙しい。もちろん、フィルポッツの狙いはここにあるわけで、優生思想すら感じさせるアーウィンの言動はかなり鼻につくけれども、だからこそ読者にいろいろと考えさせる作品になっているわけだ。
フィルポッツの作品はミステリという枠だけで考えるとどうしても評価が厳しくなってしまうが、本来ミステリ作家ではなかっただけに、別の観点で見ることは今後は必要なのかもしれない。
なお、ひとつだけミステリ的に面白かったのは、この犯行がばれるとすればどういう場合かと、犯人自ら推理するところ。真の意味での探偵役が出てこない作品だけに、こういう処理も悪くないなと思った次第である。
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