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アクセル・ハッケ『僕が神さまと過ごした日々』(講談社)
本日の読了本はちょっと趣を変えてアクセル・ハッケの『僕が神さまと過ごした日々』。著者はドイツのジャーナリストだが、同じくドイツの画家、ミヒャエル・ゾーヴァと組んで、大人のためのファンタジーをいくつか発表しており、本書もそのひとつ。

書くことを生業とする「僕」の身の回りには、なぜか不思議なことが起こる。電車での帰宅中、線路も通っていない道を通って自宅に着いたり、誰にも見えない「事務ゾウ」という小さなゾウが現れたりする。
そんなある日、墓地のベンチに座っていた僕の頭上へ、すぐそばのアパートの窓から地球儀が落下するという事件が起こる。しかし、間一髪、近くにいた老紳士が僕を突き飛ばしてくれたおかげで、僕は命拾いをすることができた。それがきっかけで、この老紳士と僕は話をするようになるが、次第にこの老紳士が「神様」であることが判明する……。
ストーリーは凝ったものではなく、ボリュームもそれほどではない。先ほども書いたように本作は大人のためのファンタジーであり、寓話といったようなものだ。芸術家肌の神様によって創造された人類。その人類が神様の予想を超えてやらかす出来事に嘆く姿が描かれ、主人公の「僕」もまた、それによって人の幸せについて考えていく。
ただ、テーマは重いけれども語り口はユーモラス。著者も読者にそこまで深刻に考えてもらうことは本意ではないはずで、ちょっと考えてみるきっかけになればよいのかなというスタンスだろう。非常に穏やかな物語と心に沁みてくるメッセージで、いっときの癒しとしたい一冊である。
そして、それを助けてくれるのが、ミハエル・ゾーヴァの挿絵である。タッチはリアルで緻密だが、描かれているものはユーモラスだったりシュールだったりして、非常に魅了される。実は管理人お気に入りの画家で、著者には申し訳ないが、正直いうと本書もゾーヴァの絵が目当てで買っている(苦笑)。
本作も読む前から挿絵だけをパラパラと眺め、ストーリーがわからないながらもその世界観を想像するのが実に楽しい作業であった。

書くことを生業とする「僕」の身の回りには、なぜか不思議なことが起こる。電車での帰宅中、線路も通っていない道を通って自宅に着いたり、誰にも見えない「事務ゾウ」という小さなゾウが現れたりする。
そんなある日、墓地のベンチに座っていた僕の頭上へ、すぐそばのアパートの窓から地球儀が落下するという事件が起こる。しかし、間一髪、近くにいた老紳士が僕を突き飛ばしてくれたおかげで、僕は命拾いをすることができた。それがきっかけで、この老紳士と僕は話をするようになるが、次第にこの老紳士が「神様」であることが判明する……。
ストーリーは凝ったものではなく、ボリュームもそれほどではない。先ほども書いたように本作は大人のためのファンタジーであり、寓話といったようなものだ。芸術家肌の神様によって創造された人類。その人類が神様の予想を超えてやらかす出来事に嘆く姿が描かれ、主人公の「僕」もまた、それによって人の幸せについて考えていく。
ただ、テーマは重いけれども語り口はユーモラス。著者も読者にそこまで深刻に考えてもらうことは本意ではないはずで、ちょっと考えてみるきっかけになればよいのかなというスタンスだろう。非常に穏やかな物語と心に沁みてくるメッセージで、いっときの癒しとしたい一冊である。
そして、それを助けてくれるのが、ミハエル・ゾーヴァの挿絵である。タッチはリアルで緻密だが、描かれているものはユーモラスだったりシュールだったりして、非常に魅了される。実は管理人お気に入りの画家で、著者には申し訳ないが、正直いうと本書もゾーヴァの絵が目当てで買っている(苦笑)。
本作も読む前から挿絵だけをパラパラと眺め、ストーリーがわからないながらもその世界観を想像するのが実に楽しい作業であった。