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アンソニー・ホロヴィッツ『メインテーマは殺人』(創元推理文庫)
アンソニー・ホロヴィッツの『メインテーマは殺人』を読む。昨年、『カササギ殺人事件』でミステリ各種ベストテンを総なめにした著者の続刊で、これはさすがに期待するなという方が無理な話だが、著者はその高いハードルをたやすく(かどうかはともかく)超えてきたようだ。
まずはストーリー。資産家の未亡人ダイアナ・クーパーが葬儀店に出向き、自分の葬儀の段取りを申し込んだ。ところがその数時間後、彼女は自宅で何物かによって殺されてしまう。偶然か、それとも彼女は自分が死ぬことを知っていたのか、警察は物取りの線で操作を進めるが……。
その頃、推理作家で脚本も書くアンソニー・ホロヴィッツは、ある刑事ドラマの監修的な仕事をこなしている元刑事のダニエル・ホーソーンから、この事件を本にしないかと持ちかけられる。ホーソーンは警察を辞めた人間だが、警察から委託されて事件を引き受けていたのだ。ホーソーンという人物にあまりいい印象はなかったものの、自分の新たな可能性を見出したいアンソニーはそれを了承。二人はコンビで捜査を始める。やがてダイアナが十年前に交通事故を起こし、そのせいで子供を死なせたことや被害者の父親から脅迫を受けていたことを知る……。

堪能。前作『カササギ殺人事件』もよかったが、本作はより王道の本格ミステリに挑戦しており、むしろトータルでの面白さ、より一般的な楽しさという点では、こちらの方が上ではないか。
本作の読みどころはいろいろあるのだが、何といっても注目したいのは、著者アンソニー・ホロヴィッツ自身をワトスン役とし、かつ語り手とするメタフィクション、メタミステリ的な構造だろう。
語り手を著者としたミステリは他にもS・S・ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンス・シリーズや有栖川有栖の火村英生シリーズなどいくつかあって、それほど珍しいわけではない。しかしそれらは内容に影響を及ぼさないほど影の薄い存在だったり、実際の著者とはまったくの別人格だったりするわけで、あくまで著者の名前を借りただけ、といったレベルである。
その点、本作のアンソニー・ホロヴィッツはがっつりと自己を投影した人物、いやそれどころか完全に本人自身として描く。自身が書いた作品、関わった仕事、暮らしぶり創作に対する考え方までストレートに反映させる。たとえばホームズのパスティーシュ『絹の家』に絡むエピソードや出版エージェントとのやりとり、講演の様子などなど。なかにはアンソニーがあのスピルバーグと『タンタンの冒険2』のシナリオについて打ち合わせている最中に、突然ホーソーンが現れて打合せをダメにしてしまう、なんてシーンまである。
著者はそうやって小説内の世界に事実をリンクさせ、メタフィクション的にいうなら現実と虚構の垣根を取り払っているわけだ。単に「面白いエピソードだね」、「作家の生活の裏側がわかって興味深い」でもいいのだが、それらの裏にはミステリって何?小説って何?というジャンルに対する著者自身の問いかけが込められている。
もっとも感心したのは、すでに読者自身が読んでいる本書そのものを「作中のアンソニー・ホロヴィッツ」が書いた作品として位置付けていることだ。本書の第1章の内容をホーソーンがダメ出しをするところがあり、このメビウスの輪のような関係性をもつエピソードこそがメタミステリの真骨頂。まあ、手法としてはそれほど珍しくもないけれど、本格ミステリでここまで踏み込んだことにちょっと驚いた。その部分を読むだけでも、本作の価値はあるといってもいい。
アプローチは異なれど『カササギ殺人事件』もメタ的な手法だったし、著者はそもそもこういう手法が好きなのだろう。とはいえ実は長らく子供向けのミステリを書いていた実績もあり、そちらはそれこそ水戸黄門的なスタイルであり、方向性としては真逆である。
つまり本作や『カササギ〜』は、そういうマンネリ的な作品に対する反動として書かれた、あるいは大人向けに参入する上で、これまでの実績+アルファの武器としてメタ手法を用いた可能性が高い。実はこの答えも作中で明らかにされているのだが、そういう創作の秘密をノンフィクション的に読むのも楽しみのひとつだろう。ただ、勘違いしてはいけないのは、そういうノンフィクション的な内容も、結局は著者の作り物であるということである。ゆめゆめ騙されるべからず。
ううむ、ずいぶん一つめの話だけで長くなってしまったので、残りはサクッと行こう。
続いての読みどころとしては、やはり本格ミステリとして非常によくできていることが挙げられる。
本作は比較的ユーモラスな作品だが、そういった楽しい部分のあちらこちらにも巧妙に伏線が張られている。そしてラストでは見事にそれらが回収され、著者の徹底したフェアプレイ精神をうかがうことができる。
正味、上で述べたメタミステリ云々に関す要素を本書からすべて取り除いたとしても、本書はおそらく十分に面白い本格ミステリとなるはずだ。
もうひとつ注目したいのは、ホーソーンとアンソニーの関係性が、ホームズとワトスンの物語を踏まえたものになっていること。著者はご存知のようにホームズのパスティーシュ『絹の家』という作品を書いているぐらいだから、ホームズ譚に関してはかなり研究済みだろうが、その成果を存分に活かしている。偉大なる先輩のシステムを受け継ぎつつ、そこからどのような関係性を築けば面白くなるのか、随所に工夫されているのである。
ホーソーンがアンソニーの行動を何気なく言い当てるシーンなどは、まさしくホームズを彷彿させるけれど、逆にそのほかの多くのシーンでは、もっぱらアンソニーとホーソーンの関係性はよろしくない。ワトスンだって時にはホームズの思わせぶりな言動にイライラしたりもするが、本作での二人の関係はむしろギスギスしすぎているといっても過言ではない。
その結果、アンソニーはホーソーンの真の姿を掴みあぐね、これはホーソーンの神秘性をあげるとともに、このキャラクターの可能性がまだまだ広がっていることを感じさせる。ただ、それだけにまだホーソーンの魅力が読者に伝わりきらない部分もある。この辺り、どうホーソーンを育てていくかは今後に期待したいところである。
ううむ、ちょっと取り留めのない感じになってしまったが、間違いなくいえるのは本作が傑作だということ。年末のベストテンで上位に入ってくるのもほぼ確実だろう。すでに本国ではシリーズ二作目『The Sentence is Death』も発売されているので、こちらにもぜひ期待したいところだ。
まずはストーリー。資産家の未亡人ダイアナ・クーパーが葬儀店に出向き、自分の葬儀の段取りを申し込んだ。ところがその数時間後、彼女は自宅で何物かによって殺されてしまう。偶然か、それとも彼女は自分が死ぬことを知っていたのか、警察は物取りの線で操作を進めるが……。
その頃、推理作家で脚本も書くアンソニー・ホロヴィッツは、ある刑事ドラマの監修的な仕事をこなしている元刑事のダニエル・ホーソーンから、この事件を本にしないかと持ちかけられる。ホーソーンは警察を辞めた人間だが、警察から委託されて事件を引き受けていたのだ。ホーソーンという人物にあまりいい印象はなかったものの、自分の新たな可能性を見出したいアンソニーはそれを了承。二人はコンビで捜査を始める。やがてダイアナが十年前に交通事故を起こし、そのせいで子供を死なせたことや被害者の父親から脅迫を受けていたことを知る……。

堪能。前作『カササギ殺人事件』もよかったが、本作はより王道の本格ミステリに挑戦しており、むしろトータルでの面白さ、より一般的な楽しさという点では、こちらの方が上ではないか。
本作の読みどころはいろいろあるのだが、何といっても注目したいのは、著者アンソニー・ホロヴィッツ自身をワトスン役とし、かつ語り手とするメタフィクション、メタミステリ的な構造だろう。
語り手を著者としたミステリは他にもS・S・ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンス・シリーズや有栖川有栖の火村英生シリーズなどいくつかあって、それほど珍しいわけではない。しかしそれらは内容に影響を及ぼさないほど影の薄い存在だったり、実際の著者とはまったくの別人格だったりするわけで、あくまで著者の名前を借りただけ、といったレベルである。
その点、本作のアンソニー・ホロヴィッツはがっつりと自己を投影した人物、いやそれどころか完全に本人自身として描く。自身が書いた作品、関わった仕事、暮らしぶり創作に対する考え方までストレートに反映させる。たとえばホームズのパスティーシュ『絹の家』に絡むエピソードや出版エージェントとのやりとり、講演の様子などなど。なかにはアンソニーがあのスピルバーグと『タンタンの冒険2』のシナリオについて打ち合わせている最中に、突然ホーソーンが現れて打合せをダメにしてしまう、なんてシーンまである。
著者はそうやって小説内の世界に事実をリンクさせ、メタフィクション的にいうなら現実と虚構の垣根を取り払っているわけだ。単に「面白いエピソードだね」、「作家の生活の裏側がわかって興味深い」でもいいのだが、それらの裏にはミステリって何?小説って何?というジャンルに対する著者自身の問いかけが込められている。
もっとも感心したのは、すでに読者自身が読んでいる本書そのものを「作中のアンソニー・ホロヴィッツ」が書いた作品として位置付けていることだ。本書の第1章の内容をホーソーンがダメ出しをするところがあり、このメビウスの輪のような関係性をもつエピソードこそがメタミステリの真骨頂。まあ、手法としてはそれほど珍しくもないけれど、本格ミステリでここまで踏み込んだことにちょっと驚いた。その部分を読むだけでも、本作の価値はあるといってもいい。
アプローチは異なれど『カササギ殺人事件』もメタ的な手法だったし、著者はそもそもこういう手法が好きなのだろう。とはいえ実は長らく子供向けのミステリを書いていた実績もあり、そちらはそれこそ水戸黄門的なスタイルであり、方向性としては真逆である。
つまり本作や『カササギ〜』は、そういうマンネリ的な作品に対する反動として書かれた、あるいは大人向けに参入する上で、これまでの実績+アルファの武器としてメタ手法を用いた可能性が高い。実はこの答えも作中で明らかにされているのだが、そういう創作の秘密をノンフィクション的に読むのも楽しみのひとつだろう。ただ、勘違いしてはいけないのは、そういうノンフィクション的な内容も、結局は著者の作り物であるということである。ゆめゆめ騙されるべからず。
ううむ、ずいぶん一つめの話だけで長くなってしまったので、残りはサクッと行こう。
続いての読みどころとしては、やはり本格ミステリとして非常によくできていることが挙げられる。
本作は比較的ユーモラスな作品だが、そういった楽しい部分のあちらこちらにも巧妙に伏線が張られている。そしてラストでは見事にそれらが回収され、著者の徹底したフェアプレイ精神をうかがうことができる。
正味、上で述べたメタミステリ云々に関す要素を本書からすべて取り除いたとしても、本書はおそらく十分に面白い本格ミステリとなるはずだ。
もうひとつ注目したいのは、ホーソーンとアンソニーの関係性が、ホームズとワトスンの物語を踏まえたものになっていること。著者はご存知のようにホームズのパスティーシュ『絹の家』という作品を書いているぐらいだから、ホームズ譚に関してはかなり研究済みだろうが、その成果を存分に活かしている。偉大なる先輩のシステムを受け継ぎつつ、そこからどのような関係性を築けば面白くなるのか、随所に工夫されているのである。
ホーソーンがアンソニーの行動を何気なく言い当てるシーンなどは、まさしくホームズを彷彿させるけれど、逆にそのほかの多くのシーンでは、もっぱらアンソニーとホーソーンの関係性はよろしくない。ワトスンだって時にはホームズの思わせぶりな言動にイライラしたりもするが、本作での二人の関係はむしろギスギスしすぎているといっても過言ではない。
その結果、アンソニーはホーソーンの真の姿を掴みあぐね、これはホーソーンの神秘性をあげるとともに、このキャラクターの可能性がまだまだ広がっていることを感じさせる。ただ、それだけにまだホーソーンの魅力が読者に伝わりきらない部分もある。この辺り、どうホーソーンを育てていくかは今後に期待したいところである。
ううむ、ちょっと取り留めのない感じになってしまったが、間違いなくいえるのは本作が傑作だということ。年末のベストテンで上位に入ってくるのもほぼ確実だろう。すでに本国ではシリーズ二作目『The Sentence is Death』も発売されているので、こちらにもぜひ期待したいところだ。
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