- Date: Sat 07 12 2019
- Category: 海外作家 インドリダソン(アーナルデュル)
- Community: テーマ "推理小説・ミステリー" ジャンル "本・雑誌"
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アーナルデュル・インドリダソン『厳寒の町』(東京創元社)
アーナルデュル・インドリダソンの『厳寒の町』を読む。アイスランド、いや今や北欧を代表する警察小説、エーレンデュル捜査官を主人公とするシリーズの一冊である。
まずはストーリー。
レイキャビクの一角で、十歳の男の子の刺殺死体が発見された。男の子の名前はエリアス。アイスランド人の父とタイ人の母の間に生まれたが、両親は離婚し、母と異父兄のニランの三人で共同住宅に引っ越して間もない頃だった。
エーレンデュルをはじめとする捜査陣は、学校や近所の人々に聞き込みを開始し、事件の背後に人種差別があるのではと当たりをつける。
一方で、同時に進められる別の失踪事件や、自らの過去に起こったある事件の影にも悩まされながら、エーレンデュルは捜査を進めるが……。

前作の『声』を読んだとき、北欧ミステリの特徴について、「社会問題に起因する犯罪を扱い、これに主人公や登場人物など個人の問題も絡ませて、多重的にその国が抱える課題や人の在り方について追求していく」、なんてことを書いた。
エーレンデュル捜査官シリーズにおいても概ねそのラインに沿ってはいるのだが、ひとつだけ付け加えるとすれば、過去の出来事と現代の事件を絡ませていることに大きな特徴がある。主人公のエーレンデュル自身もそうだが、アイスランドという国が抱える過去の亡霊を、毎回えぐり出しているのである。
ところが本作では、ちょっと趣が違っていた。珍しくほぼアイスランドの“いま”の事件を扱っているのだ。
これはアイスランドの移民問題という比較的新しい社会問題を扱っているせいもあるのだろうが、ミステリとしてことさらセンセーショナルなネタを選ぶのではなく、よりリアルな物語、一般市民に密着したテーマに移行しようとしている感じも受ける。
だから本作はこれまでの作品に比べても、ひときわ地味な展開である。捜査も遅々として進まないし、それほど凝った仕掛けがあるわけでもない。トリックなどもちろんないし、正直ロジックすら少ない。刑事たちもいたって普通の人々で、それぞれに悩みを抱えるものの、その方面で劇的な展開を迎えるわけでもない。事件解決後もまったく爽快な気分にならないし、憂鬱な事件を憂鬱な刑事たちが捜査してゆき、たまたま上手く事件が解決したといっても過言ではないかもしれない。
ただ、そんな物語であっても、いや、そんな物語だからこそ心に染みてくる場合がある。
アイスランドは地理的にも産業的にも決して恵まれた国ではなく、人口わずか35万人、面積にして北海道と四国を合わせた程度の小さな国だ。資源に乏しく、金融と観光、ITなどが主産業だが、本作を読んでいるかぎり、それほど人々の暮らしは華やかというふうにも感じない。首都レイキャビクですら日本の行き詰まった地方都市のようなイメージであり、全体をどことなく閉塞感が覆っているのだ。しかし、それでもやはり人々は自分たちの国に誇りを持っており、それだけの背景と歴史を持っていることも確かだ。
そんな国に、いまアイデンティティの喪失の危機が訪れようとしている。それが移民問題である。こんなヨーロッパの果ての小さな国ですらアジア諸国からの移民が多いのだという。当然ながらそこには差別問題や過激な愛国者たちが生まれてゆく。これは日本とも共通するところだろうが、小さな島国による単一民族国家ゆえ、母国が母国でなくなってしまう不安をもつ者は少なくないのである。
著者はその重いテーマに真っ向から取り組んでいる。登場人物を通して移民に対するさまざまな考え方が繰り返し語られ、もちろんそれは紛れもなく本作のテーマなのだが、実はより大きな問題は意見の相違によってアイスランドの国民同士が憎み合ってしまうことにある。日本人にとってもまったく人ごとではない。
ということでミステリ的な楽しみ方とはやや離れてしまったが、読み応えは十分。いまだからこそ日本でも読まれてほしい作品である。
まずはストーリー。
レイキャビクの一角で、十歳の男の子の刺殺死体が発見された。男の子の名前はエリアス。アイスランド人の父とタイ人の母の間に生まれたが、両親は離婚し、母と異父兄のニランの三人で共同住宅に引っ越して間もない頃だった。
エーレンデュルをはじめとする捜査陣は、学校や近所の人々に聞き込みを開始し、事件の背後に人種差別があるのではと当たりをつける。
一方で、同時に進められる別の失踪事件や、自らの過去に起こったある事件の影にも悩まされながら、エーレンデュルは捜査を進めるが……。

前作の『声』を読んだとき、北欧ミステリの特徴について、「社会問題に起因する犯罪を扱い、これに主人公や登場人物など個人の問題も絡ませて、多重的にその国が抱える課題や人の在り方について追求していく」、なんてことを書いた。
エーレンデュル捜査官シリーズにおいても概ねそのラインに沿ってはいるのだが、ひとつだけ付け加えるとすれば、過去の出来事と現代の事件を絡ませていることに大きな特徴がある。主人公のエーレンデュル自身もそうだが、アイスランドという国が抱える過去の亡霊を、毎回えぐり出しているのである。
ところが本作では、ちょっと趣が違っていた。珍しくほぼアイスランドの“いま”の事件を扱っているのだ。
これはアイスランドの移民問題という比較的新しい社会問題を扱っているせいもあるのだろうが、ミステリとしてことさらセンセーショナルなネタを選ぶのではなく、よりリアルな物語、一般市民に密着したテーマに移行しようとしている感じも受ける。
だから本作はこれまでの作品に比べても、ひときわ地味な展開である。捜査も遅々として進まないし、それほど凝った仕掛けがあるわけでもない。トリックなどもちろんないし、正直ロジックすら少ない。刑事たちもいたって普通の人々で、それぞれに悩みを抱えるものの、その方面で劇的な展開を迎えるわけでもない。事件解決後もまったく爽快な気分にならないし、憂鬱な事件を憂鬱な刑事たちが捜査してゆき、たまたま上手く事件が解決したといっても過言ではないかもしれない。
ただ、そんな物語であっても、いや、そんな物語だからこそ心に染みてくる場合がある。
アイスランドは地理的にも産業的にも決して恵まれた国ではなく、人口わずか35万人、面積にして北海道と四国を合わせた程度の小さな国だ。資源に乏しく、金融と観光、ITなどが主産業だが、本作を読んでいるかぎり、それほど人々の暮らしは華やかというふうにも感じない。首都レイキャビクですら日本の行き詰まった地方都市のようなイメージであり、全体をどことなく閉塞感が覆っているのだ。しかし、それでもやはり人々は自分たちの国に誇りを持っており、それだけの背景と歴史を持っていることも確かだ。
そんな国に、いまアイデンティティの喪失の危機が訪れようとしている。それが移民問題である。こんなヨーロッパの果ての小さな国ですらアジア諸国からの移民が多いのだという。当然ながらそこには差別問題や過激な愛国者たちが生まれてゆく。これは日本とも共通するところだろうが、小さな島国による単一民族国家ゆえ、母国が母国でなくなってしまう不安をもつ者は少なくないのである。
著者はその重いテーマに真っ向から取り組んでいる。登場人物を通して移民に対するさまざまな考え方が繰り返し語られ、もちろんそれは紛れもなく本作のテーマなのだが、実はより大きな問題は意見の相違によってアイスランドの国民同士が憎み合ってしまうことにある。日本人にとってもまったく人ごとではない。
ということでミステリ的な楽しみ方とはやや離れてしまったが、読み応えは十分。いまだからこそ日本でも読まれてほしい作品である。
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