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都筑道夫『三重露出』(講談社文庫)
都筑道夫の『三重露出』を読む。昭和の作家を消化するなかで、やはり都筑道夫も忘れてはならない作家だろう。高校ぐらいのころに次々と文庫化されていたこともあり、初期の代表作はけっこ読んでいるはずで、本作も三十五年ぶりぐらいの再読である(苦笑)。
こんな話。翻訳者の滝口が目下とりかかっているのはアメリカの作家、S・B・クランストンが書いたスパイ小説『三重露出』。なんと日本を舞台にし、アメリカ人の私立探偵もどきが女忍者やギャングと渡り合う破天荒な内容である。ところが作中で意外な人物が登場し、滝口を驚かせる。
意外な人物の名は沢之内より子。かつて滝口の知人らが集まっていたパーティーで変死を遂げた女性である。この小説は事件となにか関わりがあるのだろうか?

翻訳者・滝口が過去の事件を追う現実世界のパートと、作中作『三重露出』のパート、この二つが交互に語られてゆく異色の構成。初期の都筑作品らしい実にトリッキーな作品である。
最近では『カササギ殺人事件』というビッグネームがあるし、新本格系の作家にはちらほらあるようだが、作中作というネタを用いたミステリは決して多いわけではない。それはそうだろう。長編一作書くだけでも大変なのに、二作分を盛り込んだうえ、両者に重要な関連性を持たせなければ作中作というネタを用いた意味がない。そこには単なる作中作というアイディアだけではなく、おのずとメタ・ミステリというものに対するアプローチも生まれるわけで、都筑道夫はその点も抜かりはない。さまざまなミステリのネタやパロディ要素を盛り込み、加えて当時の翻訳やミステリに関する裏話までぶちこんでくる。
そういう意味において、本作は既成のミステリに対するチャレンジともいえるわけで、1960年代の初めにこういう試みをした都筑道夫はさすがとしか言いようがない。
ただし、その試みが成功しているかというと、ここはなかなか難しいところだ。特に弱いのは作中作のパートと現実世界のパートの関連が薄いところである。両者を結ぶ糸は“沢之内より子”という人物しかないのだが、それが終盤までそのまま流れてしまうのはいただけないし、自分が何か読み落としているのかと思ったぐらいあっけない。
もうひとつ気になるのは両パートのバランスの悪さか。ぶっちゃけいうと作中作のパートがあまりに弾けすぎていて、現実世界のパートが霞んでしまっている。
一応はスパイ小説だが、その方向性は007と山風の忍法帖をあわせたうえで、よりユーモアとお色気をパワーアップさせたような内容。これが実にバカバカしいのだがたまらなく面白い(笑)。
その面白さが現実パートで急にぶった切られてしまい、このつながりの悪さ、バランスの悪さが消化不良を起こしてしまう。
というわけで、個人的には先に書いたようにチャレンジ精神をこそ評価したい作品だが、今、人にオススメできるかどうかとなると微妙なのも確か。そんな作品である。
こんな話。翻訳者の滝口が目下とりかかっているのはアメリカの作家、S・B・クランストンが書いたスパイ小説『三重露出』。なんと日本を舞台にし、アメリカ人の私立探偵もどきが女忍者やギャングと渡り合う破天荒な内容である。ところが作中で意外な人物が登場し、滝口を驚かせる。
意外な人物の名は沢之内より子。かつて滝口の知人らが集まっていたパーティーで変死を遂げた女性である。この小説は事件となにか関わりがあるのだろうか?

翻訳者・滝口が過去の事件を追う現実世界のパートと、作中作『三重露出』のパート、この二つが交互に語られてゆく異色の構成。初期の都筑作品らしい実にトリッキーな作品である。
最近では『カササギ殺人事件』というビッグネームがあるし、新本格系の作家にはちらほらあるようだが、作中作というネタを用いたミステリは決して多いわけではない。それはそうだろう。長編一作書くだけでも大変なのに、二作分を盛り込んだうえ、両者に重要な関連性を持たせなければ作中作というネタを用いた意味がない。そこには単なる作中作というアイディアだけではなく、おのずとメタ・ミステリというものに対するアプローチも生まれるわけで、都筑道夫はその点も抜かりはない。さまざまなミステリのネタやパロディ要素を盛り込み、加えて当時の翻訳やミステリに関する裏話までぶちこんでくる。
そういう意味において、本作は既成のミステリに対するチャレンジともいえるわけで、1960年代の初めにこういう試みをした都筑道夫はさすがとしか言いようがない。
ただし、その試みが成功しているかというと、ここはなかなか難しいところだ。特に弱いのは作中作のパートと現実世界のパートの関連が薄いところである。両者を結ぶ糸は“沢之内より子”という人物しかないのだが、それが終盤までそのまま流れてしまうのはいただけないし、自分が何か読み落としているのかと思ったぐらいあっけない。
もうひとつ気になるのは両パートのバランスの悪さか。ぶっちゃけいうと作中作のパートがあまりに弾けすぎていて、現実世界のパートが霞んでしまっている。
一応はスパイ小説だが、その方向性は007と山風の忍法帖をあわせたうえで、よりユーモアとお色気をパワーアップさせたような内容。これが実にバカバカしいのだがたまらなく面白い(笑)。
その面白さが現実パートで急にぶった切られてしまい、このつながりの悪さ、バランスの悪さが消化不良を起こしてしまう。
というわけで、個人的には先に書いたようにチャレンジ精神をこそ評価したい作品だが、今、人にオススメできるかどうかとなると微妙なのも確か。そんな作品である。
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Comments
Edit
この小説、現実世界のパートがとても苦いですよね。
たぶん、ビシッと決まった余りの出ない「小説世界」に対し、歪んだ二重露出としてしか現れず、誰にも「正しい映像」なんてわからない「現実」のあいまいさを浮かび上がらせようとしたんだろうと思いますが……成功してるとはいいがたいですな。
自分としてはこの作品を解体してさらに意味を逆転させ、完全に余りが出なく一つの結論として割り切れてしまう「作中の現実世界」よりも、「破綻しかしていない作中作小説世界」こそが現実を正しく映しているのだ、と主張したのが竹本健治の「匣の中の失楽」ではないかと思ってますが、深読みのしすぎかなあ。
都築道夫が最終的に何を考えていたかは知らないですけど、作中作のアホなニンジャ小説だけは向こう百年は確実に残りそうですな(^^;) もって瞑すべし、なのかなあ。
ちなみに自分の再読時の感想。
http://crfragment.blog81.fc2.com/blog-entry-3312.html
Posted at 20:34 on 01 19, 2020 by ポール・ブリッツ
ポール・ブリッツさん
コメントありがとうございます。
ミステリの可能性というものは常に考えていた作家なのでしょうね。初期はとにかく変わったことばかりやってますし、すべてが創作のための実験だった印象を受けます。
ただ、本作についてはどうしてもメタなものと捉えてしまいがちですが、どちらかというと当時流行っていたスパイ小説や忍法帖という形式に対するパロディの線が強かったのかもしれません。技巧のみを追求していたというと言い過ぎでしょうが、その結果、作品によって劣化するものが出てくるのは仕方ないのかもしれませんね。
Posted at 21:37 on 01 19, 2020 by sugata