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有馬頼義『殺すな』(講談社)
まずはストーリーから。笛木刑事は近所に住む顔見知りの植木屋・杉山のことが気になっていた。酒が弱いはずなのに朝から酒を飲み、しかもひと懐っこいはずの彼が自分を避ける素振りを見せたからだ。調べてみると杉山が出入りしている鹿村家の娘が一週間、幼稚園を休み、明日から幼稚園に復帰するという日曜の朝、杉村は鹿村に酒をご馳走になったことがわかる。
そんなとき高山検事のもとに匿名の手紙が届いていた。そこには鹿村の娘が誘拐され、多額の身代金を払ったことが記されていた。高山は鹿村家の調査を笛木刑事に命じるが、同時にひとつ気になることがあった。この誘拐事件が連続するのではないかと考えたのだ……。

高山検事と笛木刑事のシリーズ三作に共通するのは、何気ない出来事がきっかけで事件らしきものの存在が浮かび上がり、そこから調査の結果さらなる疑惑や謎が生まれ、その積み重ねで最終的に大きな事件の真相が明らかになるという構造だろう。
本作では「酒の弱い植木屋が朝から酒を飲んでいる」というのが発端だし、『四万人の目撃者』では野球選手の試合中の死亡である。『リスとアメリカ人』では医師の失踪、発砲事件、ペストの発生という三つの大きな事件がのっけから出てくるのでちょっとパターンは異なるが、そのつながりを調べる妙がある。
そういった発端の面白さ、そして高山たちがそこからどのように真相にたどり着いていくかが、本シリーズの読みどころであり、本格というよりは警察小説の楽しみに近いかもしれない。どんでん返しやトリッキーな面は強くなく、いたって地味な作風なのでどうしても損はしているだろうが、謎そのものはなかなか面白いところを突いている。
たとえば本作は一応は誘拐ものなので、本来なら身代金受け渡しの手口が一番の見せ場となるところ。しかし著者はあまりそこに執着しない。むしろ鹿村家の誘拐を告発した人物は誰か、鹿村が誘拐の事実を認めないのはなぜかという、どちらかといえば事件の外殻から掘り起こしていくイメージ。
また、第二の誘拐事件において、高山検事が過去に起こった誘拐事件で、脅迫状の届くタイミングと方法を調べるよう命じるところは興味深い。数あるミステリでもこういうアプローチはあまり記憶にないし、大ネタではないのだけれど、目のつけどころは実に上手い。
地味な作風と書いたが、本作においては山場に油井の火事をもってくるなど、サスペンスの高め方も悪くはないだろう。
本作でもうひとつ楽しみだったのは、高山検事と笛木刑事の関係性でありキャラクターだ。『四万人の目撃者』ではぶっちゃけステレオタイプ気味の高山検事だが、『リスとアメリカ人』では関係者に対する気持ちで悩める検事となり、本作では何かが吹っ切れたように正義と法の番人という姿勢を貫く。そのために笛木刑事との間で決定的な出来事が起こり、老年に差し掛かった笛木刑事の悲哀を醸し出す。
もちろん高山検事が冷酷というのではなく、かといって人情たっぷりというわけではなく。仕事に対する矜持と人情との間で揺れ動く心の在りようというか。その結果、ハッピーエンドでもなくバッドエンドでもなく。このあたりのバランスが絶妙で、ミステリには珍しい、なんともいえない読後感であった。
というわけで高山検事&笛木刑事の三部作、無事読了である。有馬頼義というとどうしても『四万人の目撃者』ばかり取り上げられるが、どうせ『四万人の目撃者』を読むのなら、これはぜひ三部作まで読み終えるべきだろう。いわゆる本格としての面白さからは離れるが一読の価値はある。
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Comments
https://fibonacci.tokyo.jp/?p=623
この記事読むと、1960年ごろというのは、基本的に靴って、町の靴屋さんに行っての「オーダーメイド」だったみたいです。
「暮らしの手帳」が1964年にこんな企画組んでたところを見ると、1964年でも、たいていの国産既製靴は「欠陥品」だったようですなあ。刑事が履くような代物ではないでしょうなあ……。
Posted at 18:58 on 05 06, 2020 by ポール・ブリッツ
ポール・ブリッツさん
すると、やはりもう少し高かったかもしれませんね。調べてみると、昭和三十五年頃の貨幣価値は現在の1/5から1/6ぐらいのようですから、もしかすると5000円ぐらいした可能性はありますね。
当時の靴の値段がストレートに調べられるといいのですが、なかなかネットでも出てきません(食べ物や乗り物はたくさんでてきますが)。ただ、それこそ昭和35年ごろから一気に靴の大量生産が可能になってきたらしく、価格はかなり激変した時期というせいもあるかもしれません。
Posted at 03:34 on 05 06, 2020 by sugata
当時っていったら、革靴が高くて、靴の底が減ったら靴屋へ持っていって金属当てて修繕して、そのせいで歩くと、金属がアスファルトやコンクリートに当たって、横山光輝のマンガみたいに「コツーン コツーン」という音立てて歩く時代じゃなかったでしたっけ。別な作家は「ニガッキ ニガッキ」って表現してましたが……。
横山隆一の4コマ漫画「デンスケ」では、飲み屋へ行って酔っ払った友人を背負って帰ると「自分の靴底が減るのがイヤ」なので、「そうだ、おれにはこいつの靴を履く権利がある」っていって、酔っ払いの靴を脱がせて履き替える、というギャグが、当たり前のように描かれていたような気もするであります。
Posted at 02:22 on 05 06, 2020 by ポール・ブリッツ
くさのまさん
くさのまさんにプッシュしてもらったおかげで、早めに三作を読んでよかったです。一年後ぐらいに読んでいたら、確かにここまで感慨は深くならなかったかと。
革靴のエピソードは確か『リスとアメリカ人』ですね。当時、つまり作品が発表されたのが昭和34年ごろですが、大卒初任給が1万3000円ぐらいの時代で、革靴は1000円ぐらいではなかったかと。ただ、当時は物価がむちゃくちゃ上がっていった時代ですし、革靴も大量生産がようやく始まった時代なので、もう少し高かったかもしれません。
ちなみに私が気になった点は、高山検事がけっこう一般人に仕事を手伝ってもらっていたことですね。しかも報酬はおろか、遠方への交通費も出していないようで、今ならコンプライアンス的に絶対ありえないでしょうね(笑)。
Posted at 17:04 on 05 05, 2020 by sugata
そうそう、
上に書き忘れてしまいましたが、この著者の『殺意の構成』という作品が、フレンチミステリを思わせる、奇妙な味わい&一読忘れ難い結末を持つ佳作です。
ネットで検索した感じでは文庫落ちしていないようなので入手が難しいかもしれませんが、機会がありましたら御一読をお奨め致します。というか、管理人様の感想を是非お聞きしたい(笑)。
Posted at 16:20 on 05 05, 2020 by くさのま
三部作としてみるべき作品。
私自身、『四万人~』を読んだ時は三部作とは知らなかったのですが、三作通して読むと三部作としか考えられなくなってしまいますね。
まだまだ読みが甘くて、著者の事件の掴みの上手さ等は管理人様に指摘されるまで気づきませんでした。
本作のような、シリーズ(というほどでもないかもしれませんが)のレギュラーキャラクターの関係が、事件の中での出来事によってここまで変わってしまうというのは、当時のミステリでは珍しいのではないかと思います。
結末が(自分の記憶違いでなければ)年の瀬というのが、余計にこれでシリーズの終わり、という雰囲気を醸し出しているようにも思いました。
あと読んでいた時に気になったのが、当時は革靴ってそこまでの高級品だったのでしょうか? たしか靴が高くて変えられないとごちる場面があったような。
Posted at 16:12 on 05 05, 2020 by くさのま
ポール・ブリッツさん
オーダーメイドだけでなく、既製品も手作りだから高くなりますよね。
先のコメントで触れた日本で革靴の大量生産ですが、強力な接着剤が開発されて、それによる圧着製法が導入されたことが大きいらしいですよ。それが昭和35年ごろですね。
Posted at 19:18 on 05 06, 2020 by sugata