- Date: Wed 28 10 2020
- Category: 評論・エッセイ 東秀紀
- Community: テーマ "評論集" ジャンル "本・雑誌"
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東秀紀『アガサ・クリスティーの大英帝国 名作ミステリと「観光」の時代』(筑摩選書)
先日読んだ『『名探偵ポワロ』完全ガイド』の影響か、またクリスティ関係の本が読みたくなり、東秀紀の『アガサ・クリスティーの大英帝国 名作ミステリと「観光」の時代』を手に取ってみた。
実は三年前に買ってはみたが、それほど食指をそそられず、積んだままにしていた本である。というのも筑摩選書という固めのレーベル、地味な装丁、アバウトなタイトルのせいもあって、何となくクリスティをダシにして英国の観光の歴史などを語ったものかと思い、そこまで興味を持てなかったからだ。
いや、しかし当たり前のことだが、やはり本は読んでみなければわからない。これが予想以上に興味深い内容で、実に楽しく読むことができた、
※ちなみに本書や早川書房では「クリスティー」、創元では「クリスティ」と表記されるが、とりあえず当ブログではまったく個人的な好みで後者を用いている。

本書の内容を簡単にいうと、クリスティと“観光”の密接な関係を解説するとともに、そこから背景となる当時の大英帝国の姿をも浮き彫りにするという一冊。
あ、だめだ、こんなふうに書くから、結局は「クリスティをダシにして英国の観光の歴史などを語ったもの」と思ってしまい、興味を持てなくなってしまうのだ(笑)。
では、仕切り直し。
本書が面白いのは、クリスティの作品と生涯を“観光”という視点で解説しているところにある。あくまで主はクリスティ及びクリスティの作品。それらを“観光”というキーワードで読み解くことによって、これまではあまり考えてもみなかったアングルからの分析や読解が展開され、それらが最終的に大英帝国の姿として浮かび上がってくる。ううん、そんなに変わらないか(苦笑)。
とにかく“観光”という視点でクリスティの作品を読んだときに表れる、“気づき”の部分が見事なのだ。
しかも、それらを分析する様が、まるでミステリの謎解きのように展開される。そう、本書はノンフィクションでありながら、ミステリと同じような知的興奮を味わえるのだ。だから引きこまれる。
たとえば「ミステリは観光と同じ年に生まれた」という事実。これはひとつの気づきだが、すでにこの事実からして「おっ」と思うではないか。
ミステリの生まれた年は一般にポオが「モルグ街の殺人」を発表した1841年とされているが、それは世界最古の旅行会社「トマス・クック」が創業した年でもある。つまり観光がビジネスとして誕生した年といってよい。もちろん観光そのものは以前からあった。しかし、それらのほとんどは上流階級にしかできない金のかかる娯楽であった。それが観光ビジネスの誕生によって、ツアーなるものが生まれ、観光は中産階級にも広がってゆく。人々は大いに観光に目覚め、そこに一時の“非日常”を見出し、楽しみ、そしてまた、日常へと戻ってゆく。観光ビジネスは大きく発展する。
クリスティはいち早く、その流行を作品に活かした。数々の中東もの、『オリエント急行の殺人』、『青列車の秘密』、『ナイルに死す』等々。それらの物語は読者の旅への想いを掴むだけでなく、さまざまな国籍、人種、職業の人々が集う場所として創作のうえでも有効であったろう。
また、観光における非日常と日常の関係は、読書にも通じるところであったのが大きい。観光のハードルが下がったとはいえ、それでも旅行できないものはクリスティの作品によって、その渇きを潤した面も大きいはずだ。西村京太郎の遙か以前に、クリスティはトラベルミステリーを確立していたのだ。
というようなことが導入で書かれているのだが、ここから先がさらに面白い。
観光というキーワードで説明できる作品は、実はクリスティの前期作品に集中している。もうひとつ大事なキーワード“田園"があるのである。それはどんな時代にあっても、常に英国の人々が心のよりどころとするもので、英国らしさの象徴といってもよいのだろう。そもそもはデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』が田園ものだったわけだが、観光ものが前半に集中したのに対し、田園ものはほぼすべての時代を通じて書かれているのも、クリスティ自身がそれを愛してやまなかったところにあるのだろう。
観光にはまった中産階級の人々は、第二次大戦を経て生活が一変する。戦争に勝利したものの英国は力を失い、生活は厳しさを増す。そんななかで人々は“田園”に回帰してゆく。安定した古き良き暮らしを求めていったのだ。
そしてそれに呼応するかのように、クリスティの作品からは観光ものが減少し、ポワロに代わってミス・マープルの登場頻度が増えてゆく。ご存知のようにマープルの物語の主な舞台はセント・メアリ・ミード村。典型的な英国の田舎町で、田園を具象化したものといえるだろう。
ただ、現実にはそんな田園も滅びつつあった。戦後の田園には、植民地や都市部から逃れてきた“よそ者”で溢れるようになる。そうした“よそ者”によって田園は乱され、クリスティもまた殺人事件を発生させるのである。
もうこれだけでも十分に面白いのだが、実はこれでほんの第一章でしかない。二章以降はいよいよクリスティの生涯にそって、さらに細かく各作品と時代の関係が述べられていくのが本書である。
クリスティの作品は、ともするとどれも同じようなベクトルで書かれている印象が強いけれども、本書を読むと、実は時代にそって非常に柔軟に書かれていることがわかる。逆にいうとクリスティの作品を読む解くことで、そのときどきの英国の状況を理解することもできるのだ。
実に刺激的。これをクリスティファンだけに読ませておいてはダメでしょう(笑)
と褒めまくってみたものの、実は管理人はクリスティの後期作品をあまり読んでいない。そのため後期作品を解説する後半はけっこう飛ばし読みしているのであしからず。本書の面白さを完全に堪能するなら、やはり原作は全部読んでおきたいし、そのあとで改めて本書も読み直してみたい。ああ、かねてからの懸案事項であるクリスティ全冊読破計画、ますます早く着手しなければという気になってきた。
実は三年前に買ってはみたが、それほど食指をそそられず、積んだままにしていた本である。というのも筑摩選書という固めのレーベル、地味な装丁、アバウトなタイトルのせいもあって、何となくクリスティをダシにして英国の観光の歴史などを語ったものかと思い、そこまで興味を持てなかったからだ。
いや、しかし当たり前のことだが、やはり本は読んでみなければわからない。これが予想以上に興味深い内容で、実に楽しく読むことができた、
※ちなみに本書や早川書房では「クリスティー」、創元では「クリスティ」と表記されるが、とりあえず当ブログではまったく個人的な好みで後者を用いている。

本書の内容を簡単にいうと、クリスティと“観光”の密接な関係を解説するとともに、そこから背景となる当時の大英帝国の姿をも浮き彫りにするという一冊。
あ、だめだ、こんなふうに書くから、結局は「クリスティをダシにして英国の観光の歴史などを語ったもの」と思ってしまい、興味を持てなくなってしまうのだ(笑)。
では、仕切り直し。
本書が面白いのは、クリスティの作品と生涯を“観光”という視点で解説しているところにある。あくまで主はクリスティ及びクリスティの作品。それらを“観光”というキーワードで読み解くことによって、これまではあまり考えてもみなかったアングルからの分析や読解が展開され、それらが最終的に大英帝国の姿として浮かび上がってくる。ううん、そんなに変わらないか(苦笑)。
とにかく“観光”という視点でクリスティの作品を読んだときに表れる、“気づき”の部分が見事なのだ。
しかも、それらを分析する様が、まるでミステリの謎解きのように展開される。そう、本書はノンフィクションでありながら、ミステリと同じような知的興奮を味わえるのだ。だから引きこまれる。
たとえば「ミステリは観光と同じ年に生まれた」という事実。これはひとつの気づきだが、すでにこの事実からして「おっ」と思うではないか。
ミステリの生まれた年は一般にポオが「モルグ街の殺人」を発表した1841年とされているが、それは世界最古の旅行会社「トマス・クック」が創業した年でもある。つまり観光がビジネスとして誕生した年といってよい。もちろん観光そのものは以前からあった。しかし、それらのほとんどは上流階級にしかできない金のかかる娯楽であった。それが観光ビジネスの誕生によって、ツアーなるものが生まれ、観光は中産階級にも広がってゆく。人々は大いに観光に目覚め、そこに一時の“非日常”を見出し、楽しみ、そしてまた、日常へと戻ってゆく。観光ビジネスは大きく発展する。
クリスティはいち早く、その流行を作品に活かした。数々の中東もの、『オリエント急行の殺人』、『青列車の秘密』、『ナイルに死す』等々。それらの物語は読者の旅への想いを掴むだけでなく、さまざまな国籍、人種、職業の人々が集う場所として創作のうえでも有効であったろう。
また、観光における非日常と日常の関係は、読書にも通じるところであったのが大きい。観光のハードルが下がったとはいえ、それでも旅行できないものはクリスティの作品によって、その渇きを潤した面も大きいはずだ。西村京太郎の遙か以前に、クリスティはトラベルミステリーを確立していたのだ。
というようなことが導入で書かれているのだが、ここから先がさらに面白い。
観光というキーワードで説明できる作品は、実はクリスティの前期作品に集中している。もうひとつ大事なキーワード“田園"があるのである。それはどんな時代にあっても、常に英国の人々が心のよりどころとするもので、英国らしさの象徴といってもよいのだろう。そもそもはデビュー作『スタイルズ荘の怪事件』が田園ものだったわけだが、観光ものが前半に集中したのに対し、田園ものはほぼすべての時代を通じて書かれているのも、クリスティ自身がそれを愛してやまなかったところにあるのだろう。
観光にはまった中産階級の人々は、第二次大戦を経て生活が一変する。戦争に勝利したものの英国は力を失い、生活は厳しさを増す。そんななかで人々は“田園”に回帰してゆく。安定した古き良き暮らしを求めていったのだ。
そしてそれに呼応するかのように、クリスティの作品からは観光ものが減少し、ポワロに代わってミス・マープルの登場頻度が増えてゆく。ご存知のようにマープルの物語の主な舞台はセント・メアリ・ミード村。典型的な英国の田舎町で、田園を具象化したものといえるだろう。
ただ、現実にはそんな田園も滅びつつあった。戦後の田園には、植民地や都市部から逃れてきた“よそ者”で溢れるようになる。そうした“よそ者”によって田園は乱され、クリスティもまた殺人事件を発生させるのである。
もうこれだけでも十分に面白いのだが、実はこれでほんの第一章でしかない。二章以降はいよいよクリスティの生涯にそって、さらに細かく各作品と時代の関係が述べられていくのが本書である。
クリスティの作品は、ともするとどれも同じようなベクトルで書かれている印象が強いけれども、本書を読むと、実は時代にそって非常に柔軟に書かれていることがわかる。逆にいうとクリスティの作品を読む解くことで、そのときどきの英国の状況を理解することもできるのだ。
実に刺激的。これをクリスティファンだけに読ませておいてはダメでしょう(笑)
と褒めまくってみたものの、実は管理人はクリスティの後期作品をあまり読んでいない。そのため後期作品を解説する後半はけっこう飛ばし読みしているのであしからず。本書の面白さを完全に堪能するなら、やはり原作は全部読んでおきたいし、そのあとで改めて本書も読み直してみたい。ああ、かねてからの懸案事項であるクリスティ全冊読破計画、ますます早く着手しなければという気になってきた。
西村さんの全集が出るとするなら、そうですねぇ。西村さんの作品は古本だとほぼ一冊50〜100円で買えますし、レア系といえども古書価はそこまで高騰していないですよね。しかも部数はそこそこ出るでしょうから、一冊1500円(長編三冊収録)ぐらいに抑えたいですよね。それが×200冊で30万円というところでしょうか。電子版ならその半額で15万円。ああ、いいところですね。
ただ、手塚作品とはレア度が違いますから、気持ちとしては10万円まで下げたいかな。