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イーアン・ペアーズ『指差す標識の事例(下)』(創元推理文庫)
イーアン・ペアーズの『指差す標識の事例』下巻をようやく読了。上下巻合わせると十日間ぐらいかかってしまった。上下巻合わせて千ページ以上というボリュームのせいはもちろんだが、ところどころで前を読み返したり、英国史について調べたりしながら読んだこともあって、まあ疲れた(苦笑)。
これでつまらない作品だったら本当にガックリくるところだが、まあ、期待どおりの面白さはあってひと安心である。

時は十七世紀。クロムウェルが清教徒革命を成し遂げたものの、民衆の支持を得ることができず、結局はチャールズ二世による王政復古が果たされた英国。しかし、内情は王政復古を喜ぶもの、依然としてクロムウェルの考えかたを支持するものが入り混じり、混沌とした状態であった。そんな英国のオックスフォードで大学教師の殺人事件が起こる……。
本作は十七世紀の英国を舞台にした歴史ミステリである。ある事件を四人の語り手がそれぞれの立場から語るという四部構成。ちなみにその四人のパートを、四人の訳者が分担するというスタイルも話題になった一作。
第一の語り手は、ヴェネツィアからオックスフォードにやってきた医者の卵、マルコ・ダ・コーラが務める。オックスフォードでさまざまな学者と知り合うが、雑役婦のサラと病気で苦しむその母親が気にかかり、無償で治療にあたる。だが、教師の殺人事事件でサラが逮捕され……という展開。
続く語り手は、王党派で裏切り者の烙印を押された父親の汚名を晴らすべく活動する青年ジャック・プレスコット。第三の語り手はオックスフォード大学で幾何学を教え、暗号にも詳しいジョンウォリス、そしてラストの語り手は……。
とにもかくにも、この構成がすべてだろう。ミステリで「手記」といえば、“信頼できない語り手”だとか“叙述トリック”だとかがすぐに頭に浮かぶが、本作も例外ではない。
それぞれの立場によって価値観も利害関係も異なり、その手記は自己防衛の観点で書かれた可能性も極めて高い。実際、コーラが述べた事実が、以後のパートでは異なるニュアンスで語られたり、否定されたりする。挙句にはそもそもコーラ自身が何者で何の目的でやってきたのかという推論までが披露される。事実錯誤のテクニックが――それは語り手が意図している場合もあるし、無意識の場合もあるのだが――ふんだんに盛り込まれて、結局、各語り手の“騙り”から事実がどう転がっていくのか、そこが読みどころだ。そして最大の興味は「そもそも一体、何が起こっていたのか」という点にある。
考えると、歴史上の真実とは大体がそういうものであって、立場が異なれば歴史の見方もまったく異なる。ほんの数十年前の日本の状況ですら隣国とゴタゴタ揉めているぐらいだから、ましてや何百年も前の歴史など、さまざまな解釈があって当然。とはいえ、だからこそ歴史学の必要があるのだし、歴史は面白いのだ。
また、手記を通して描かれる、宗教や哲学、科学など、さまざまな学問に対する当時ならではのアプローチも興味深いところだ。ただ、それを楽しむには読み手の知識教養が求められるのも事実。ボリュームも相当にあるので、どうせ読むなら、そこそこの知識を仕入れてからの方がおすすめである。
管理人も恥ずかしながらそこまで英国史に詳しいわけではないので、清教徒革命やら王政復古やらちょいと勉強し直したほどだ。面倒だけれどもその価値はある。
ということで文句なしの傑作ではあるのだが、本作はそういう歴史テーマありきとしての小説であることは頭に入れておきたい。つまり純粋なミステリとしての楽しみを求めると、ちょっと違うかなという感じはあるのだ。
最後にちょっとケチをつけるようであれだが(苦笑)、正直、歴史部分のネタに比べると殺人事件の真相は驚くようなものではないし、帯に書かれている「『薔薇の名前』×アガサ・クリスティ」というのも大袈裟すぎる。
歴史ミステリと紹介したが、個人的には歴史エンターテインメントの傑作としておきたい。
これでつまらない作品だったら本当にガックリくるところだが、まあ、期待どおりの面白さはあってひと安心である。

時は十七世紀。クロムウェルが清教徒革命を成し遂げたものの、民衆の支持を得ることができず、結局はチャールズ二世による王政復古が果たされた英国。しかし、内情は王政復古を喜ぶもの、依然としてクロムウェルの考えかたを支持するものが入り混じり、混沌とした状態であった。そんな英国のオックスフォードで大学教師の殺人事件が起こる……。
本作は十七世紀の英国を舞台にした歴史ミステリである。ある事件を四人の語り手がそれぞれの立場から語るという四部構成。ちなみにその四人のパートを、四人の訳者が分担するというスタイルも話題になった一作。
第一の語り手は、ヴェネツィアからオックスフォードにやってきた医者の卵、マルコ・ダ・コーラが務める。オックスフォードでさまざまな学者と知り合うが、雑役婦のサラと病気で苦しむその母親が気にかかり、無償で治療にあたる。だが、教師の殺人事事件でサラが逮捕され……という展開。
続く語り手は、王党派で裏切り者の烙印を押された父親の汚名を晴らすべく活動する青年ジャック・プレスコット。第三の語り手はオックスフォード大学で幾何学を教え、暗号にも詳しいジョンウォリス、そしてラストの語り手は……。
とにもかくにも、この構成がすべてだろう。ミステリで「手記」といえば、“信頼できない語り手”だとか“叙述トリック”だとかがすぐに頭に浮かぶが、本作も例外ではない。
それぞれの立場によって価値観も利害関係も異なり、その手記は自己防衛の観点で書かれた可能性も極めて高い。実際、コーラが述べた事実が、以後のパートでは異なるニュアンスで語られたり、否定されたりする。挙句にはそもそもコーラ自身が何者で何の目的でやってきたのかという推論までが披露される。事実錯誤のテクニックが――それは語り手が意図している場合もあるし、無意識の場合もあるのだが――ふんだんに盛り込まれて、結局、各語り手の“騙り”から事実がどう転がっていくのか、そこが読みどころだ。そして最大の興味は「そもそも一体、何が起こっていたのか」という点にある。
考えると、歴史上の真実とは大体がそういうものであって、立場が異なれば歴史の見方もまったく異なる。ほんの数十年前の日本の状況ですら隣国とゴタゴタ揉めているぐらいだから、ましてや何百年も前の歴史など、さまざまな解釈があって当然。とはいえ、だからこそ歴史学の必要があるのだし、歴史は面白いのだ。
また、手記を通して描かれる、宗教や哲学、科学など、さまざまな学問に対する当時ならではのアプローチも興味深いところだ。ただ、それを楽しむには読み手の知識教養が求められるのも事実。ボリュームも相当にあるので、どうせ読むなら、そこそこの知識を仕入れてからの方がおすすめである。
管理人も恥ずかしながらそこまで英国史に詳しいわけではないので、清教徒革命やら王政復古やらちょいと勉強し直したほどだ。面倒だけれどもその価値はある。
ということで文句なしの傑作ではあるのだが、本作はそういう歴史テーマありきとしての小説であることは頭に入れておきたい。つまり純粋なミステリとしての楽しみを求めると、ちょっと違うかなという感じはあるのだ。
最後にちょっとケチをつけるようであれだが(苦笑)、正直、歴史部分のネタに比べると殺人事件の真相は驚くようなものではないし、帯に書かれている「『薔薇の名前』×アガサ・クリスティ」というのも大袈裟すぎる。
歴史ミステリと紹介したが、個人的には歴史エンターテインメントの傑作としておきたい。
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Comments
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fontankaさん
あらら、映画の『薔薇の名前』ってキリスト教的にそんな変なところがあるんですか。時代設定もあるし、私のような仏教徒は素直にこんなものかと楽しんでました(笑)。
Posted at 22:22 on 11 24, 2020 by sugata
Edit
読みたいけど、ジョン・ロックがトマス・ホッブズを殺した、くらいのムチャクチャさをやってくれないと、とても1000ページも根性が続かない老体です……。
Posted at 02:26 on 11 24, 2020 by ポール・ブリッツ
Edit
まだまだ先になりますが、頑張って読もうと思います。
一応、歴史専攻だったので たぶん 多少は大丈夫かと思います。。。本当だろうか?
ちなみに「薔薇の名前」(映画)の思い出
私はミッション系(死後)出身なので、ツッコミながら(?)見ました。
同級生にも大うけでした。
動機もまさかね・・・とか思いながら、当てた?ような気がします。
Posted at 23:48 on 11 23, 2020 by fontanka
ポール・ブリッツさん
面白さがどんでん返しとかではなく(それも少しはありますが)、やはり歴史の作られ方というか、伝わり方というか、つまるところ重層的な語りでそれを表現しているところに妙味があるので、ミステリを期待するとダメでしょうね。
個人的には満足していますが、三部構成の600ページぐらいで収めてほしかったなぁという気持ちも少しあります(笑)。
Posted at 22:30 on 11 24, 2020 by sugata