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辻真先『アリスの国の殺人』(双葉文庫)
昨年末のミステリの各種ベストテン企画で、国内編の主役に躍り出たのがベテラン辻真先。ただ、ランクインした作品も気にはなるけれど、その前に代表作ぐらいは読んでおきたい。というわけで手に取ったのが昭和五十七年の日本推理作家協会賞を受賞した『アリスの国の殺人』である。
こんな話。子供の頃から『不思議の国のアリス』を限りなく愛する綿畑克二。彼はアリス好きが高じて出版社に入ることはできたが、希望した児童文学の編集ではなく、いまは創刊間近い漫画雑誌で厳しい上司に鍛えられる日々が続いている。
そんな苦労のせいか、綿畑は夢のなかの『不思議の国のアリス』の世界で、“殺猫事件”の容疑者にされてしまう。一方、現実世界では上司の編者者が殺害されてしまい、綿畑はふたつの事件に巻き込まれる羽目になる……。

これは凄い。世評どおりの傑作である。『不思議の国のアリス』をモチーフにしていることぐらいは知っていたが、いや、それはこの作品のほぼ一面だけを説明しているにしか過ぎない。それぐらい盛りだくさんの内容で、いろいろな読み方、楽しみ方ができる作品といえるだろう。
大きなポイントは四つある。
まずは、やはり“アリス趣味”に彩られていること。『不思議の国のアリス』のモチーフは随所に、というか、章によってはアリスの世界そのままで物語が進行し、特に言葉遊びやナンセンスにおいては、著者の強烈なチャレンジがうかがえる。アリスにとどまらず、日本の漫画やアニメと競演させているはっちゃけぶりも注目である。
二つ目は、二つのストーリーが交互に語られるという構成だろう。二つのストーリーで構成される作品は今どき珍しくないが、その多くは過去と現在というように異なる時間軸のパートで真実を紐解くパターンか、あるいは一見まったく異なる二つのストーリーが同時進行して最終的に交わるというパターンである。
ところが本作の場合、夢と現実、両方の世界でストーリーが交互に進行する。ただ、夢の世界の方は、イコール『不思議の国のアリス』の世界であり、“殺猫事件”の謎を追うファンタジーミステリでもあるのがミソ。そして現実世界は現実世界で、リアルな殺人事件の謎を追っていく。
二つのストーリーには主人公が共通であること以外、直接の関係も融合もない。それぞれが単独の物語として読むことができ、その繋がりはあくまで精神的な意味でのものだ。こういうスタイルは純文学なら読んだことはあるが、さすがにミステリでは初。今読んでもなかなか斬新で、当時であればかなり注目されたのではないか。
ちなみに“アリス趣味”については、この夢の世界でたっぷりと楽しむことができる。
三つ目としては、現実世界のストーリーの舞台にマンガ業界を置いたこと。これは著者お得意の分野でもあるが、昭和五十年代のマンガ業界の内幕が実在の漫画家まで含めて生々しく描かれている。
アリス云々が前面に出ている本作だが、実は著者が一番描きたかったのはこの点ではないだろうか。現在と違って、マンガはまだ他の媒体より低く見られている時代であり、そこに漫画家や編集者、経営者の思惑、プライド、価値観の違いなどが激しくぶつかり、物語に激しい緊張を生んでいる。物語の拠点となるのが、当時マスコミ関係者が集まりクダを巻いていたカオスの中心、歌舞伎町ゴールデン街というのがまたよろしい。
四つ目はミステリの本質的な魅力の部分。すなわち謎と仕掛けである。広い意味では前例のあるトリックだし、実はけっこう露骨に描写しているのだけれど、設定が特殊なせいか、真相を上手くカモフラージュしている。驚愕といった感じではないが、上手くしてやられた感は十分。
なお、夢の世界の事件もお供えではなく、それなりにまとめているのもさすがである。
と、大きなポイントを四つほど挙げてはみたが、そういった技術的な見どころとは別に、強く印象に残ったところがあって、それはエンディングである。
全体的にはコミカルとシリアスがほどよくブレンドされている本作だが、終盤はかなりヘビーな展開を見せ、ラストはかなりショッキングだ。正直そこらのノワールや犯罪小説でもここまではやらないだろうというレベルであり、これを虚構ならではのデフォルメと見るのか、それとも著者の積年の思いと見るのかで、また味わいは変わってくるだろう。管理人的にはその両方とも含んでいると考えるが、さて真実はどうなのだろう。
こんな話。子供の頃から『不思議の国のアリス』を限りなく愛する綿畑克二。彼はアリス好きが高じて出版社に入ることはできたが、希望した児童文学の編集ではなく、いまは創刊間近い漫画雑誌で厳しい上司に鍛えられる日々が続いている。
そんな苦労のせいか、綿畑は夢のなかの『不思議の国のアリス』の世界で、“殺猫事件”の容疑者にされてしまう。一方、現実世界では上司の編者者が殺害されてしまい、綿畑はふたつの事件に巻き込まれる羽目になる……。

これは凄い。世評どおりの傑作である。『不思議の国のアリス』をモチーフにしていることぐらいは知っていたが、いや、それはこの作品のほぼ一面だけを説明しているにしか過ぎない。それぐらい盛りだくさんの内容で、いろいろな読み方、楽しみ方ができる作品といえるだろう。
大きなポイントは四つある。
まずは、やはり“アリス趣味”に彩られていること。『不思議の国のアリス』のモチーフは随所に、というか、章によってはアリスの世界そのままで物語が進行し、特に言葉遊びやナンセンスにおいては、著者の強烈なチャレンジがうかがえる。アリスにとどまらず、日本の漫画やアニメと競演させているはっちゃけぶりも注目である。
二つ目は、二つのストーリーが交互に語られるという構成だろう。二つのストーリーで構成される作品は今どき珍しくないが、その多くは過去と現在というように異なる時間軸のパートで真実を紐解くパターンか、あるいは一見まったく異なる二つのストーリーが同時進行して最終的に交わるというパターンである。
ところが本作の場合、夢と現実、両方の世界でストーリーが交互に進行する。ただ、夢の世界の方は、イコール『不思議の国のアリス』の世界であり、“殺猫事件”の謎を追うファンタジーミステリでもあるのがミソ。そして現実世界は現実世界で、リアルな殺人事件の謎を追っていく。
二つのストーリーには主人公が共通であること以外、直接の関係も融合もない。それぞれが単独の物語として読むことができ、その繋がりはあくまで精神的な意味でのものだ。こういうスタイルは純文学なら読んだことはあるが、さすがにミステリでは初。今読んでもなかなか斬新で、当時であればかなり注目されたのではないか。
ちなみに“アリス趣味”については、この夢の世界でたっぷりと楽しむことができる。
三つ目としては、現実世界のストーリーの舞台にマンガ業界を置いたこと。これは著者お得意の分野でもあるが、昭和五十年代のマンガ業界の内幕が実在の漫画家まで含めて生々しく描かれている。
アリス云々が前面に出ている本作だが、実は著者が一番描きたかったのはこの点ではないだろうか。現在と違って、マンガはまだ他の媒体より低く見られている時代であり、そこに漫画家や編集者、経営者の思惑、プライド、価値観の違いなどが激しくぶつかり、物語に激しい緊張を生んでいる。物語の拠点となるのが、当時マスコミ関係者が集まりクダを巻いていたカオスの中心、歌舞伎町ゴールデン街というのがまたよろしい。
四つ目はミステリの本質的な魅力の部分。すなわち謎と仕掛けである。広い意味では前例のあるトリックだし、実はけっこう露骨に描写しているのだけれど、設定が特殊なせいか、真相を上手くカモフラージュしている。驚愕といった感じではないが、上手くしてやられた感は十分。
なお、夢の世界の事件もお供えではなく、それなりにまとめているのもさすがである。
と、大きなポイントを四つほど挙げてはみたが、そういった技術的な見どころとは別に、強く印象に残ったところがあって、それはエンディングである。
全体的にはコミカルとシリアスがほどよくブレンドされている本作だが、終盤はかなりヘビーな展開を見せ、ラストはかなりショッキングだ。正直そこらのノワールや犯罪小説でもここまではやらないだろうというレベルであり、これを虚構ならではのデフォルメと見るのか、それとも著者の積年の思いと見るのかで、また味わいは変わってくるだろう。管理人的にはその両方とも含んでいると考えるが、さて真実はどうなのだろう。
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