- Date: Sat 16 10 2021
- Category: 海外作家 ホッグ(ジェイムズ)
- Community: テーマ "幻想文学" ジャンル "本・雑誌"
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ジェイムズ・ホッグ『悪の誘惑』(国書刊行会)
ミステリの源流と言われる小説をそろそろ読破していこうと思い、ジェイムズ・ホッグ『悪の誘惑』を読んでみた。実は一ヶ月ほど前に読んだウィリアム・ゴドウィンの『ケイレブ・ウィリアムズ』もその一環である。世界最初のミステリはもちろんポオの「モルグ街の殺人」だが、ミステリの萌芽を感じ取れる作品、のちの世代へミステリ的な影響を与えた作品というのはいろいろあって、『ケイレブ・ウィリアムズ』や『悪の誘惑』はその代表格と言えるだろう。
まずはストーリー。
古くからスコットランドのダルカースルを領有していたコルウァン家。その長男として生まれたジョージと次男ロバートだが、二人の境遇はまったく異なるものだった。父は歓楽だけを望む道楽者でジョージだけを愛し、厳格なキリスト教徒の母はそんな夫に愛想をつかし、ロバートを連れて家を出てしまう。
母と牧師から熱心な教育を受けて育つロバートだったが、成人する頃には非常に攻撃的で付き合いにくい人間になってしまい、やがて執拗なまでにジョージに嫌がらせをするようになる。
そんなある日、ジョージが殺害されるという事件が起こる。犯人は捕まったが、ジョージの世話をしていたローガン夫人はロバートこそ真犯人だと考え、調査を開始する……。

いやあ、これもまた圧倒的な作品だ。
ミステリの源流云々という前に、本作はまずゴシック小説の傑作として知られているわけだが、それも納得。本作は悪に魅了され、とことんまで堕ちてゆく人間の姿を執拗に描き尽くしている。
本来はキリスト教の教えに則って生きる人間が、“悪の誘惑”によって教義が徐々にねじ曲げられ、正義のためには手段を選ばないようになり、その正義自体ももはや第三者には意味不明の理屈で成り立ってしまう恐ろしさ。それが異様なまでに濃い密度と熱気で描かれる。
しかし本作が凄いのは、やはりもう一つの要素があるからだろう。それは作品全体を覆う仕掛けである。
本作は三部構成となっている。第一部では編者が客観的に語る事件の概要である。好青年の兄ジョージに対し、弟ロバートが繰り返す悪事の数々。そして事件が発生し、ローガン夫人が犯人を突き止めるところまでが描かれる。ただ、完全に犯人が明らかになったかと言われると、真相はかなりぼやかされており、ロバートのそもそもの動機やいくつかの不可解な現象は説明されずじまいだ。
そこで第二部が始まる。第二部は事件をロバートの視点で語るという趣向であり、ここがとにかく強烈。先ほどあげた密度も熱気も、この第二部があればこそ。神の教えとともに生きるロバートだが、ある日現れた謎の男によって、少しずつ洗脳されてゆく。母や牧師の忠告を聞いて態度を改めることもあるが、再び謎の男の手によって唆され、悪事に手を染める様は実にいやーな感じである。
謎の男とはいったい何者なのか。ときには顔形まで変えて出現するその男は悪魔のようにも描かれる。だが、著者はその正体は明かさない。悪魔どころか実はロバートの闇の部分が具現化したものかもしれないし(ジキルとハイド的な)、あるいはロバートの頭の中の幻想かもしれないのである。この悪夢そのものの相棒がロバートを絡めとり、狂っていくロバートのさまは実に怖い。
第三部では語りが再び編者の手に戻って一応の決着をみる。しかし謎の男の正体などは最後まで不明だし、著者ホッグまでが作中に取り込まれたり、むしろ物語は不透明感を増しつつ幕を閉じるだけに、その読後感は強烈である。
正義と悪の狭間、あるいは正気と狂気の狭間、人間の弱さ、宗教の怖さなど、そういったギリギリの部分をメタフィクションと信頼できない語り手によって描いた傑作。1824年にすでにここまでの作品があったとは驚きである。
ただ、毒気に当てられる可能性は高いので、ぜひ体力気力が充実しているときにどうぞ。
まずはストーリー。
古くからスコットランドのダルカースルを領有していたコルウァン家。その長男として生まれたジョージと次男ロバートだが、二人の境遇はまったく異なるものだった。父は歓楽だけを望む道楽者でジョージだけを愛し、厳格なキリスト教徒の母はそんな夫に愛想をつかし、ロバートを連れて家を出てしまう。
母と牧師から熱心な教育を受けて育つロバートだったが、成人する頃には非常に攻撃的で付き合いにくい人間になってしまい、やがて執拗なまでにジョージに嫌がらせをするようになる。
そんなある日、ジョージが殺害されるという事件が起こる。犯人は捕まったが、ジョージの世話をしていたローガン夫人はロバートこそ真犯人だと考え、調査を開始する……。

いやあ、これもまた圧倒的な作品だ。
ミステリの源流云々という前に、本作はまずゴシック小説の傑作として知られているわけだが、それも納得。本作は悪に魅了され、とことんまで堕ちてゆく人間の姿を執拗に描き尽くしている。
本来はキリスト教の教えに則って生きる人間が、“悪の誘惑”によって教義が徐々にねじ曲げられ、正義のためには手段を選ばないようになり、その正義自体ももはや第三者には意味不明の理屈で成り立ってしまう恐ろしさ。それが異様なまでに濃い密度と熱気で描かれる。
しかし本作が凄いのは、やはりもう一つの要素があるからだろう。それは作品全体を覆う仕掛けである。
本作は三部構成となっている。第一部では編者が客観的に語る事件の概要である。好青年の兄ジョージに対し、弟ロバートが繰り返す悪事の数々。そして事件が発生し、ローガン夫人が犯人を突き止めるところまでが描かれる。ただ、完全に犯人が明らかになったかと言われると、真相はかなりぼやかされており、ロバートのそもそもの動機やいくつかの不可解な現象は説明されずじまいだ。
そこで第二部が始まる。第二部は事件をロバートの視点で語るという趣向であり、ここがとにかく強烈。先ほどあげた密度も熱気も、この第二部があればこそ。神の教えとともに生きるロバートだが、ある日現れた謎の男によって、少しずつ洗脳されてゆく。母や牧師の忠告を聞いて態度を改めることもあるが、再び謎の男の手によって唆され、悪事に手を染める様は実にいやーな感じである。
謎の男とはいったい何者なのか。ときには顔形まで変えて出現するその男は悪魔のようにも描かれる。だが、著者はその正体は明かさない。悪魔どころか実はロバートの闇の部分が具現化したものかもしれないし(ジキルとハイド的な)、あるいはロバートの頭の中の幻想かもしれないのである。この悪夢そのものの相棒がロバートを絡めとり、狂っていくロバートのさまは実に怖い。
第三部では語りが再び編者の手に戻って一応の決着をみる。しかし謎の男の正体などは最後まで不明だし、著者ホッグまでが作中に取り込まれたり、むしろ物語は不透明感を増しつつ幕を閉じるだけに、その読後感は強烈である。
正義と悪の狭間、あるいは正気と狂気の狭間、人間の弱さ、宗教の怖さなど、そういったギリギリの部分をメタフィクションと信頼できない語り手によって描いた傑作。1824年にすでにここまでの作品があったとは驚きである。
ただ、毒気に当てられる可能性は高いので、ぜひ体力気力が充実しているときにどうぞ。