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アレックス・パヴェージ『第八の探偵』(ハヤカワ文庫)
先日、読んだ『狼たちの城』はおそらく年末ベストテンに絡んでくる一冊だと思うのだが、本日の読了本、アレックス・パヴェージの『第八の探偵』もまた間違いなくベストテン級の一冊である。
(ネタバレには十分に注意しておりますが、今回、作品の性質上どうしても内容に踏み込んでしまうところもあるため、未読の方はある程度、覚悟してお読みください)

こんな話。探偵小説黄金時代に書かれたミステリ短篇集『ホワイトの殺人事件集』。当時は私家版だったため、編集者ジュリア・ハートは復刊を企画し、著者のグラント・マカリスターのもとを訪れる。ジュリアとグラントは収録作をひとつずつ読み込み、議論を交わしていく。そして、すべての作品を読み終えたとき、思いもしない事態が待ち受けていた……。
これはまた恐ろしく凝った小説だ。最初は一般のミステリファンには敷居が高く、これはマニアや創作者、評論家相手でないと面白さが伝わらないのかと思ったが、一周回って、いや普通にミステリファンにアピールできる作品なのだと思うようになってきた。とにかくいろいろな意味で読みどころ満載なのだ。
ともかく仕掛けが凝っている。
長編とはいえ、なかには作中作として七つの短篇が含まれている。しかも各短篇の後には漏れなくジュリアとグラントの対話=ミステリ論議がついてくる。これが数学的アプローチによるミステリの可能性を検討するもので、この時点でもうお腹いっぱいである。
しかし、それだけではない。各作品にはどこかしら矛盾や解明されない箇所が残されており、著者のグラントですら記憶に無かったり、意識していなかったという部分がある。この謎はもちろんラストで明らかになるのだが、実は真相が三段回で明かされ、その一つひとつに驚かされるという寸法なのだ。
細かく見ていくと、まず作中作は悪くない。クリスティへのオマージュ的な作品がちらほらあって、なかには『そして誰もいなくなった』を丸々拝借した作品もある。これがまた上手くまとめられていて、よくこれを短篇にできたなと素直に感心した。
作中作が終わるごとに繰り広げられるジュリアとグラントの対話パートもいい。数学的アプローチというのが新鮮で、そこから作中作を使って段階的にミステリの定義というか可能性を展開してゆくさまはなかなか興味深い。その理論の是非はともかくとして、作中作と対話パートの組み合わせという形は面白く、この流れでラストのオチへと決まれば最高の作品になったはずだ。
問題はラストの三段階の真相。章題で「最後の対話」、「第一の結末」、「第二の結末」となっている部分だ。この中でもっともいただけないのが「最後の対話」である。この手のネタは一見凄いように思えるが、昔からミステリのパロディとかでもよく使われた趣向。ある意味、本格ミステリの一番の弱点を突いているもので、正直これをやられるとキリがないし、本格ミステリを読む意味がないとすら思えてしまう。いわば禁じ手的なネタであり(あくまで個人的な思いです)、それをドヤ顔でやられてもなぁと。しかもくどい。
この「最後の対話」を抜きにして、「第一の結末」、「第二の結末」と続けた方が良かったのではないか、というのが個人的感想である。ただ、「最後の対話」が全編を繋げるキモでもあるので、そう簡単には行かないのだろうけれど。
ちなみに「第一の結末」、「第二の結末」にしても確かにサプライズではあるけれど、「第一の結末」はとってつけな感じはするし、「第二の結末」は逆にほぼ予想どおりで、結局は両方ともサプライズありきな印象というのは拭えない。
まとめ。「本格ミステリに対するひとつの理論があり、それを実証するための作品」と、表面的にはいえるのだが、その実、本作自体は決して純粋な本格ミステリではない。しかし、メタミステリとしては面白いし、上でいくつかケチはつけたけれども、著者の試みは大いに評価したいところだ。それだけにネタの詰め込みすぎが惜しまれる。
(ネタバレには十分に注意しておりますが、今回、作品の性質上どうしても内容に踏み込んでしまうところもあるため、未読の方はある程度、覚悟してお読みください)

こんな話。探偵小説黄金時代に書かれたミステリ短篇集『ホワイトの殺人事件集』。当時は私家版だったため、編集者ジュリア・ハートは復刊を企画し、著者のグラント・マカリスターのもとを訪れる。ジュリアとグラントは収録作をひとつずつ読み込み、議論を交わしていく。そして、すべての作品を読み終えたとき、思いもしない事態が待ち受けていた……。
これはまた恐ろしく凝った小説だ。最初は一般のミステリファンには敷居が高く、これはマニアや創作者、評論家相手でないと面白さが伝わらないのかと思ったが、一周回って、いや普通にミステリファンにアピールできる作品なのだと思うようになってきた。とにかくいろいろな意味で読みどころ満載なのだ。
ともかく仕掛けが凝っている。
長編とはいえ、なかには作中作として七つの短篇が含まれている。しかも各短篇の後には漏れなくジュリアとグラントの対話=ミステリ論議がついてくる。これが数学的アプローチによるミステリの可能性を検討するもので、この時点でもうお腹いっぱいである。
しかし、それだけではない。各作品にはどこかしら矛盾や解明されない箇所が残されており、著者のグラントですら記憶に無かったり、意識していなかったという部分がある。この謎はもちろんラストで明らかになるのだが、実は真相が三段回で明かされ、その一つひとつに驚かされるという寸法なのだ。
細かく見ていくと、まず作中作は悪くない。クリスティへのオマージュ的な作品がちらほらあって、なかには『そして誰もいなくなった』を丸々拝借した作品もある。これがまた上手くまとめられていて、よくこれを短篇にできたなと素直に感心した。
作中作が終わるごとに繰り広げられるジュリアとグラントの対話パートもいい。数学的アプローチというのが新鮮で、そこから作中作を使って段階的にミステリの定義というか可能性を展開してゆくさまはなかなか興味深い。その理論の是非はともかくとして、作中作と対話パートの組み合わせという形は面白く、この流れでラストのオチへと決まれば最高の作品になったはずだ。
問題はラストの三段階の真相。章題で「最後の対話」、「第一の結末」、「第二の結末」となっている部分だ。この中でもっともいただけないのが「最後の対話」である。この手のネタは一見凄いように思えるが、昔からミステリのパロディとかでもよく使われた趣向。ある意味、本格ミステリの一番の弱点を突いているもので、正直これをやられるとキリがないし、本格ミステリを読む意味がないとすら思えてしまう。いわば禁じ手的なネタであり(あくまで個人的な思いです)、それをドヤ顔でやられてもなぁと。しかもくどい。
この「最後の対話」を抜きにして、「第一の結末」、「第二の結末」と続けた方が良かったのではないか、というのが個人的感想である。ただ、「最後の対話」が全編を繋げるキモでもあるので、そう簡単には行かないのだろうけれど。
ちなみに「第一の結末」、「第二の結末」にしても確かにサプライズではあるけれど、「第一の結末」はとってつけな感じはするし、「第二の結末」は逆にほぼ予想どおりで、結局は両方ともサプライズありきな印象というのは拭えない。
まとめ。「本格ミステリに対するひとつの理論があり、それを実証するための作品」と、表面的にはいえるのだが、その実、本作自体は決して純粋な本格ミステリではない。しかし、メタミステリとしては面白いし、上でいくつかケチはつけたけれども、著者の試みは大いに評価したいところだ。それだけにネタの詰め込みすぎが惜しまれる。