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ポール・アルテ『混沌の王』(行舟文化)
ポール・アルテの『混沌の王』を読む。美術評論家のアマチュア探偵オーウェン・バーンズものの第一作。
こんな話。両親の事故死をきっかけにイギリスに帰国したアキレス・ストック。彼はひょんなことからオーウェン・バーンズと知り合い、探偵仕事を手伝うよう懇願される。それはロンドン郊外の村に住むマンスフィールドという一家を訪ね、そこで起こっている事件の調査をするというものだった。
二世紀も前のこと、マンスフィールドの一族ではクリスマスのたびに「混沌の王」という道化師役を選び、馬鹿騒ぎをする習慣があった。しかし、あるとき「混沌の王」役の若者が命を落としてしまい、それ以来、毎年のように変死事件が起こるようになる。そこでこの習慣もいつしか取りやめとなり、「混沌の王」にまつわる因縁は一族の伝説となっていった。
ところが四年前、「混沌の王」が目撃され、再び変死事件が毎年起こるようになる。一家の長女シビルと婚約したサミュエルの妹キャサリンは兄の身を案じ、オーウェンに相談したのだった。アキレスはキャサリンの婚約者として一家に潜入するが……。

ううむ、これはまたアンバランスな。恐ろしく凝ったネタではあるのだが、小説としては全体にかなりあっさり目で、どこかチグハグなものを感じる。
シリーズ一作目ゆえオーウェンと語り手アキレスの出会いの描写はあるが、アキレスが無茶な頼みをひき受けるほど親しくなったようには見えないし、怪奇な事件の割には雰囲気作りもおざなり(場面によってメリハリがありすぎ)。事件と謎の数は多いけれど説明は決して多くない(むしろネタが多すぎたせいか)。そしてラストの謎解きももう一つサラッとしてどうにも盛り上がらない(確かに最後の一行は効いているがヒント出し過ぎ)。
真相そのものにはかなり驚かされるのだ。雪の密室や事件現場の見取り図、交霊会、夢遊病、呪いの伝説、白面の怪人など、ギミックにも事欠かず、アルテが好きな要素を詰め込みまくっているのも微笑ましい。普通に読めばこれは力作としか言いようがないのだけれど、先にあげた欠点とごちゃ混ぜになって、素直に傑作とは言いにくい作品になってしまった。
ただ、著者のやりたいことはよくわかった。
オーウェン・バーンズのシリーズが書かれる以前、著者はすでにH・M卿やフェル博士を意識したツイスト博士を主人公とする本格ミステリのシリーズを書いていた。それなのにあえて同じ本格のオーウェン・バーンズものを書いた意図がこれまであまりピンときていなかったのだが、本作でようやくその辺のつかえが落ちてスッキリした。
というのもオーウェンものでは、ただクラシカルな本格を目指すのというのではなく、犯罪を芸術として捉え、その構築の美しさや可能性を極めようとしているように思えたからだ。本格探偵小説はもともと娯楽だから現実味や倫理面などはひとまず横に置いておき、まずはトリックだったり論理性だったりゲーム性を重視する面が強い。そこにあるのは「不可解な謎を解く」ことであり、基本的に犯人と探偵という対決構造である。一種の競技性といってもよい。一方、芸術としてみた場合、その犯罪の完成度、美しさそのものが問われ、それが探偵に解かれることはどちらでもよい。
したがって極端なことを言えば、オーウェン・バーンズ・シリーズは著者が考えた完全犯罪を披露するためのシリーズなのである。そのためストーリーや登場人物は、その芸術作品を披露するための入れ物や台座であり、必要ではあるけれども、著者にとってはそこまで重視されないのだろう。そういう見方で既刊のシリーズ作を読むと、また印象は変わるのかもしれない。特に『金時計』や『殺人七不思議』あたりは。
ともあれアルテ本の未読はツイスト博士ものの『死まで139歩』が残っているので、そういうところも注意して読んでみることにしよう。
こんな話。両親の事故死をきっかけにイギリスに帰国したアキレス・ストック。彼はひょんなことからオーウェン・バーンズと知り合い、探偵仕事を手伝うよう懇願される。それはロンドン郊外の村に住むマンスフィールドという一家を訪ね、そこで起こっている事件の調査をするというものだった。
二世紀も前のこと、マンスフィールドの一族ではクリスマスのたびに「混沌の王」という道化師役を選び、馬鹿騒ぎをする習慣があった。しかし、あるとき「混沌の王」役の若者が命を落としてしまい、それ以来、毎年のように変死事件が起こるようになる。そこでこの習慣もいつしか取りやめとなり、「混沌の王」にまつわる因縁は一族の伝説となっていった。
ところが四年前、「混沌の王」が目撃され、再び変死事件が毎年起こるようになる。一家の長女シビルと婚約したサミュエルの妹キャサリンは兄の身を案じ、オーウェンに相談したのだった。アキレスはキャサリンの婚約者として一家に潜入するが……。

ううむ、これはまたアンバランスな。恐ろしく凝ったネタではあるのだが、小説としては全体にかなりあっさり目で、どこかチグハグなものを感じる。
シリーズ一作目ゆえオーウェンと語り手アキレスの出会いの描写はあるが、アキレスが無茶な頼みをひき受けるほど親しくなったようには見えないし、怪奇な事件の割には雰囲気作りもおざなり(場面によってメリハリがありすぎ)。事件と謎の数は多いけれど説明は決して多くない(むしろネタが多すぎたせいか)。そしてラストの謎解きももう一つサラッとしてどうにも盛り上がらない(確かに最後の一行は効いているがヒント出し過ぎ)。
真相そのものにはかなり驚かされるのだ。雪の密室や事件現場の見取り図、交霊会、夢遊病、呪いの伝説、白面の怪人など、ギミックにも事欠かず、アルテが好きな要素を詰め込みまくっているのも微笑ましい。普通に読めばこれは力作としか言いようがないのだけれど、先にあげた欠点とごちゃ混ぜになって、素直に傑作とは言いにくい作品になってしまった。
ただ、著者のやりたいことはよくわかった。
オーウェン・バーンズのシリーズが書かれる以前、著者はすでにH・M卿やフェル博士を意識したツイスト博士を主人公とする本格ミステリのシリーズを書いていた。それなのにあえて同じ本格のオーウェン・バーンズものを書いた意図がこれまであまりピンときていなかったのだが、本作でようやくその辺のつかえが落ちてスッキリした。
というのもオーウェンものでは、ただクラシカルな本格を目指すのというのではなく、犯罪を芸術として捉え、その構築の美しさや可能性を極めようとしているように思えたからだ。本格探偵小説はもともと娯楽だから現実味や倫理面などはひとまず横に置いておき、まずはトリックだったり論理性だったりゲーム性を重視する面が強い。そこにあるのは「不可解な謎を解く」ことであり、基本的に犯人と探偵という対決構造である。一種の競技性といってもよい。一方、芸術としてみた場合、その犯罪の完成度、美しさそのものが問われ、それが探偵に解かれることはどちらでもよい。
したがって極端なことを言えば、オーウェン・バーンズ・シリーズは著者が考えた完全犯罪を披露するためのシリーズなのである。そのためストーリーや登場人物は、その芸術作品を披露するための入れ物や台座であり、必要ではあるけれども、著者にとってはそこまで重視されないのだろう。そういう見方で既刊のシリーズ作を読むと、また印象は変わるのかもしれない。特に『金時計』や『殺人七不思議』あたりは。
ともあれアルテ本の未読はツイスト博士ものの『死まで139歩』が残っているので、そういうところも注意して読んでみることにしよう。
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