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陸秋槎『文学少女対数学少女』(ハヤカワ文庫)
陸秋槎の『文学少女対数学少女』を読む。数学を扱ったミステリ、しかも連作短編ということで、昨年に読んだアレックス・パヴェージの『第八の探偵』を思い出したが、異なる点もまた多い作品だった。まずは収録作。
「連続体仮説」
「フェルマー最後の事件」
「不動点定理」
「グランディ級数」

本書の主人公はミステリ好きの“文学少女”陸秋槎(りく・しゅうさ)と、同級生で数学の天才少女・韓采蘆(かん・さいろ)。陸秋槎が学内で発表するミステリのロジックエラーを防ごうと、韓采蘆に感想を求めたのが物語の発端である。題名から想像すると、この二人の知恵比べ、あるいは文系的なロジックと数学的なロジックの違いを対比するものかと思ったが、実際に読むとちょっと当てが外れてしまった。
韓采蘆の存在はもう圧倒的なのである。ミステリにおけるロジックを数学的に解明しつつ、陸秋槎の書いた作品のミスを徹底的に指摘する展開。と同時に「君がそう言ったとき、かつそのときに限り。君が作者なんだから、君が犯人だと言った人間が犯人であり、君が真相だと言ったものが、つまり真相である」とも告げる。
本格ミステリとは何なのか、ミステリにおけるロジックとは如何なる意味を持つのか。つまりは数学的にそういう実験的、評論的なテーマに挑んだ作品であり、いかにも新本格を彷彿とさせる作品である、
ただ、この手のアプローチは一見、魅力的ではあるが、正直、やってもやってもキリがない面はある。作者のハラひとつで正解はいかようにもできるし、どんでん返しも然り。それこそ「君が真相だと言ったものが、つまり真相」なのである。
ここまで直接的なアプローチではなくとも、こうした例は古くはホームズのパロディなどにもあるし、それこそ新本格の作品にも多い。実はこんなことは改めて言わないだけで、どの本格ミステリ作家も承知のことなのではないか。そこをいかに落としどころとして面白くするかが作家の技量次第というだけで。
個人的にいただけないのは、本作もまた小説としての落としどころが弱いところだ。ミステリという枠や器について語ることに淫してしまい、最初こそ感心もするが爽快さや感動については薄い。説明ばかりを読まされているというと大げさだが、やはり物語との融合は重要だろう。個人的にメタミステリは嫌いじゃないけれど、著者には内に内に向かってゆく作品よりも、『元年春之祭』のように大風呂敷を広げた作品の方がロジックの切れ味も冴えるのではないか。『第八の探偵』もメタではあるし、やり過ぎのところもあって多少イラっとする部分もあったが(苦笑)、ここがきれいにクリアできていたように思う。
もうひとつ気になった点として、いわゆる百合要素がある。陸秋槎の作品にはもう欠かせない要素のようだが、これも著者の嗜好とはいえ、個人的には食傷気味だ。それともこの点こそが今の読者の需要に沿っているのだろうか。みなさん、そんなに百合好き?
とはいえ同性愛だから嫌だというわけではない。演出がいかにも日本のアニメやライトノベルのような描写だから気になるのである。影響を受けているのはもちろん理解しているが、キャラクター造形や描写については借り物の印象が強く、そういう意味でもこれまでとは異なる世界観の作品を読んで見たいものだ。
「連続体仮説」
「フェルマー最後の事件」
「不動点定理」
「グランディ級数」

本書の主人公はミステリ好きの“文学少女”陸秋槎(りく・しゅうさ)と、同級生で数学の天才少女・韓采蘆(かん・さいろ)。陸秋槎が学内で発表するミステリのロジックエラーを防ごうと、韓采蘆に感想を求めたのが物語の発端である。題名から想像すると、この二人の知恵比べ、あるいは文系的なロジックと数学的なロジックの違いを対比するものかと思ったが、実際に読むとちょっと当てが外れてしまった。
韓采蘆の存在はもう圧倒的なのである。ミステリにおけるロジックを数学的に解明しつつ、陸秋槎の書いた作品のミスを徹底的に指摘する展開。と同時に「君がそう言ったとき、かつそのときに限り。君が作者なんだから、君が犯人だと言った人間が犯人であり、君が真相だと言ったものが、つまり真相である」とも告げる。
本格ミステリとは何なのか、ミステリにおけるロジックとは如何なる意味を持つのか。つまりは数学的にそういう実験的、評論的なテーマに挑んだ作品であり、いかにも新本格を彷彿とさせる作品である、
ただ、この手のアプローチは一見、魅力的ではあるが、正直、やってもやってもキリがない面はある。作者のハラひとつで正解はいかようにもできるし、どんでん返しも然り。それこそ「君が真相だと言ったものが、つまり真相」なのである。
ここまで直接的なアプローチではなくとも、こうした例は古くはホームズのパロディなどにもあるし、それこそ新本格の作品にも多い。実はこんなことは改めて言わないだけで、どの本格ミステリ作家も承知のことなのではないか。そこをいかに落としどころとして面白くするかが作家の技量次第というだけで。
個人的にいただけないのは、本作もまた小説としての落としどころが弱いところだ。ミステリという枠や器について語ることに淫してしまい、最初こそ感心もするが爽快さや感動については薄い。説明ばかりを読まされているというと大げさだが、やはり物語との融合は重要だろう。個人的にメタミステリは嫌いじゃないけれど、著者には内に内に向かってゆく作品よりも、『元年春之祭』のように大風呂敷を広げた作品の方がロジックの切れ味も冴えるのではないか。『第八の探偵』もメタではあるし、やり過ぎのところもあって多少イラっとする部分もあったが(苦笑)、ここがきれいにクリアできていたように思う。
もうひとつ気になった点として、いわゆる百合要素がある。陸秋槎の作品にはもう欠かせない要素のようだが、これも著者の嗜好とはいえ、個人的には食傷気味だ。それともこの点こそが今の読者の需要に沿っているのだろうか。みなさん、そんなに百合好き?
とはいえ同性愛だから嫌だというわけではない。演出がいかにも日本のアニメやライトノベルのような描写だから気になるのである。影響を受けているのはもちろん理解しているが、キャラクター造形や描写については借り物の印象が強く、そういう意味でもこれまでとは異なる世界観の作品を読んで見たいものだ。
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Comments
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一時期好んで百合風味ショートショート「範子と文子の三十分一本勝負」を拙ブログで書いていた経験から言わせてもらうと、百合ものって、男女のカップリングやBLに比べて、「オマエハオレノモノダ」みたいな「支配=被支配」の関係が薄くなり、恋愛面でも友情面でも完全に対等のそれになって、書いていて精神的に非常に楽だ、というのはあります。
だからといって安易に百合要素を持ってこられると辟易する、というのもわかりますし、自分も安易に書かないように自戒はしておりますが……まあ、伝統的な家族観のある国に生活しているということで、いろいろ作者も精神的にプレッシャーを抱えてるんじゃないかなあ、と……。
Posted at 12:48 on 05 05, 2022 by ポール・ブリッツ
ポール・ブリッツさん
あ、百合ものに対する不満ではないのでご安心ください。その設定でないと表現しにくいとか効果的な場合があるのはもちろん理解しております。
私が感じた不満は、シリーズでもないバラバラの三作品に、あえて毎回十代半ばの女子による百合的味付けをする意図が不明なところにあります。しかもあまりに日本的な。よくぞここまでモノにしたなと感心はするのですが、もっと中国的なキャラクターで勝負してほしいですね。ちなみに作風はまったく違いますが、その点では『悪童たち』が圧巻でした。
Posted at 18:32 on 05 05, 2022 by sugata