- Date: Mon 29 08 2022
- Category: 国内作家 野呂邦暢
- Community: テーマ "推理小説・ミステリー" ジャンル "本・雑誌"
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野呂邦暢『野呂邦暢ミステリ集成』(中公文庫)
ここ数年、中公文庫がミステリ・プロパーでない方面からミステリに関連するような作品を刊行している。ざっと挙げるだけでも、
野呂邦暢『野呂邦暢ミステリ集成』
野口冨士男『野口冨士男犯罪小説集 風のない日々/少女』
曽野綾子『ビショップ氏殺人事件 曽野綾子ミステリ傑作選』
中央公論新社/編『開花の殺人 大正文豪ミステリ事始』
中央公論新社/編『事件の予兆 文豪ミステリ短篇集』
ウィリアム・フォークナー『エミリーに薔薇を』
アントン・チェーホフ『狩場の悲劇』
井上靖『殺意 サスペンス小説集』
……といったところがあるのだが、これに加えて鮎川哲也や日影丈吉、橘外男、ポーといった完全なミステリ畑、さらにはミステリではないが吉行淳之介の『娼婦小説集成』、大岡昇平の『歴史小説集成』、長山靖生編纂のアンソロジーといった作品集もあったりして、まあなんとも唆るラインナップ。それまでの、いわゆる復刻ブームとは違った流れだとは思うが、この路線も負けないぐらい魅力的だ。ゆっくりとでいいので、ぜひ今後も続けてほしいものである。
そんな中から本日は『野呂邦暢ミステリ集成』を読んでみる。野呂邦暢は長崎県諫早市を拠点に活動した純文学畑の作家で、芥川賞も受賞している。以前に光文社文庫のアンソロジー『古書ミステリー倶楽部』で一作だけ読んだことがあるので、ミステリも書いていたことは知っていたが、こうして一冊にまとまるほどあるとは思わなかった。

「失踪者」
「剃刀」
「もうひとつの絵」
「敵」
「まさゆめ」
「ある殺人」
「まぼろしの御嶽」
「運転日報」
収録作は以上。
まず読んで驚いたのは、どれも普通にしっかりしたミステリ作品ばかりであること。なんせ純文学畑の作家なので、あくまでミステリの味わいを持った純文学的な作品が中心だろうと予想していた。ところが蓋を開ければ冒険小説から怪奇小説、本格までジャンルは幅広く、しかもそのジャンルならではのツボをちゃんと押さえている。言ってみれば、ただの息抜きや遊びとは違うぞ、という印象。
また、描写が基本的に丁寧で、特に心理描写は細やか。著者は「ミステリであっても人間をしっかり描くことを第一にしている」ということで、結果的にそれがミステリとしての品質にも繋がっている。以下、そういう意味で印象に残った作品の感想をいくつか。
巻頭の「失踪者」はそんな作品の代表である。北陸の小さな島で絶命した知人の調査をするうち、囚われの身となった主人公が島から脱出するというストレートな冒険小説。ネタとしては犬神信仰などを元にしているのだが、注目すべきはそのサバイバル描写で、著者の自衛隊経験が見事に生かされた佳作だ。中篇ほどのボリュームなので読み応えもあり、本書中でもベストの一作。
他では床屋の客の心理描写が秀逸な「剃刀」。何気ない日常の一コマも、見方を変えればその意味も一変する。凶器を持った人間の前で完全な無防備となる床屋のお客。そこに何がしかの悪意があったとしたら……という一席だ。
医師のところにきた患者の不思議な夢。だが医師はその夢に思い当たるところがあり……。オチは面白いが、途中の構成をもう少し整理したほうが、よりわかりやすくなったような気がする。
「運転日報」は婚約者の秘密を探る男の物語で、いってみればアリバイ破りもの。とはいえ、ここでもミステリの仕掛け云々よりは、男性の心理描写が肝だろう。それがラストの苦さをより活かしている。
なお、本書にはミステリ関係のエッセイも収録されているが、こちらもなかなか興味深い。上でも紹介したが、野呂邦暢は「ミステリであっても人間をしっかり描くことを第一にしている」という。それは文学寄りのミステリを描こうということではない(と思う)。これは著者の創作上での大前提なのであり、文学であろうがミステリであろうが、小説である以上、人間をしっかり描くのは当たり前のことだったのである。
その上で、ミステリとしては徹底した本格好きだったようだから、これまた面白い。
なんせ好きな作品は『Yの悲劇』、鮎川哲也の全作ということだし、「犯人が通産省の課長補佐というのは味気ない」や「見取図が挿入してあるのとないのとでは面白さに格段の差が生じる」という文章があったりして、もう普通のミステリ好きを通り越して、ガチの本格マニアである(苦笑)。
「本当らしさを作品に盛り込もうとして文学のリアリティーを失う」よりは、「とことん嘘をつくことで生じるリアリティーの方を尊重したい」という文章に至っては、どこの本格ミステリ作家のセリフかと思うほどだ(笑)。
ということで全体的には面白く読めたが、あえて指摘するなら、どこかにあったなというネタが多く、アイデアのオリジナリティという点ではやや弱さを感じた。まあ、そうはいってもミステリにおけるプロパーとそれ以外の作家の差が一番出るのがここだろうから、それは致し方ないのかもしれない。
野呂邦暢『野呂邦暢ミステリ集成』
野口冨士男『野口冨士男犯罪小説集 風のない日々/少女』
曽野綾子『ビショップ氏殺人事件 曽野綾子ミステリ傑作選』
中央公論新社/編『開花の殺人 大正文豪ミステリ事始』
中央公論新社/編『事件の予兆 文豪ミステリ短篇集』
ウィリアム・フォークナー『エミリーに薔薇を』
アントン・チェーホフ『狩場の悲劇』
井上靖『殺意 サスペンス小説集』
……といったところがあるのだが、これに加えて鮎川哲也や日影丈吉、橘外男、ポーといった完全なミステリ畑、さらにはミステリではないが吉行淳之介の『娼婦小説集成』、大岡昇平の『歴史小説集成』、長山靖生編纂のアンソロジーといった作品集もあったりして、まあなんとも唆るラインナップ。それまでの、いわゆる復刻ブームとは違った流れだとは思うが、この路線も負けないぐらい魅力的だ。ゆっくりとでいいので、ぜひ今後も続けてほしいものである。
そんな中から本日は『野呂邦暢ミステリ集成』を読んでみる。野呂邦暢は長崎県諫早市を拠点に活動した純文学畑の作家で、芥川賞も受賞している。以前に光文社文庫のアンソロジー『古書ミステリー倶楽部』で一作だけ読んだことがあるので、ミステリも書いていたことは知っていたが、こうして一冊にまとまるほどあるとは思わなかった。

「失踪者」
「剃刀」
「もうひとつの絵」
「敵」
「まさゆめ」
「ある殺人」
「まぼろしの御嶽」
「運転日報」
収録作は以上。
まず読んで驚いたのは、どれも普通にしっかりしたミステリ作品ばかりであること。なんせ純文学畑の作家なので、あくまでミステリの味わいを持った純文学的な作品が中心だろうと予想していた。ところが蓋を開ければ冒険小説から怪奇小説、本格までジャンルは幅広く、しかもそのジャンルならではのツボをちゃんと押さえている。言ってみれば、ただの息抜きや遊びとは違うぞ、という印象。
また、描写が基本的に丁寧で、特に心理描写は細やか。著者は「ミステリであっても人間をしっかり描くことを第一にしている」ということで、結果的にそれがミステリとしての品質にも繋がっている。以下、そういう意味で印象に残った作品の感想をいくつか。
巻頭の「失踪者」はそんな作品の代表である。北陸の小さな島で絶命した知人の調査をするうち、囚われの身となった主人公が島から脱出するというストレートな冒険小説。ネタとしては犬神信仰などを元にしているのだが、注目すべきはそのサバイバル描写で、著者の自衛隊経験が見事に生かされた佳作だ。中篇ほどのボリュームなので読み応えもあり、本書中でもベストの一作。
他では床屋の客の心理描写が秀逸な「剃刀」。何気ない日常の一コマも、見方を変えればその意味も一変する。凶器を持った人間の前で完全な無防備となる床屋のお客。そこに何がしかの悪意があったとしたら……という一席だ。
医師のところにきた患者の不思議な夢。だが医師はその夢に思い当たるところがあり……。オチは面白いが、途中の構成をもう少し整理したほうが、よりわかりやすくなったような気がする。
「運転日報」は婚約者の秘密を探る男の物語で、いってみればアリバイ破りもの。とはいえ、ここでもミステリの仕掛け云々よりは、男性の心理描写が肝だろう。それがラストの苦さをより活かしている。
なお、本書にはミステリ関係のエッセイも収録されているが、こちらもなかなか興味深い。上でも紹介したが、野呂邦暢は「ミステリであっても人間をしっかり描くことを第一にしている」という。それは文学寄りのミステリを描こうということではない(と思う)。これは著者の創作上での大前提なのであり、文学であろうがミステリであろうが、小説である以上、人間をしっかり描くのは当たり前のことだったのである。
その上で、ミステリとしては徹底した本格好きだったようだから、これまた面白い。
なんせ好きな作品は『Yの悲劇』、鮎川哲也の全作ということだし、「犯人が通産省の課長補佐というのは味気ない」や「見取図が挿入してあるのとないのとでは面白さに格段の差が生じる」という文章があったりして、もう普通のミステリ好きを通り越して、ガチの本格マニアである(苦笑)。
「本当らしさを作品に盛り込もうとして文学のリアリティーを失う」よりは、「とことん嘘をつくことで生じるリアリティーの方を尊重したい」という文章に至っては、どこの本格ミステリ作家のセリフかと思うほどだ(笑)。
ということで全体的には面白く読めたが、あえて指摘するなら、どこかにあったなというネタが多く、アイデアのオリジナリティという点ではやや弱さを感じた。まあ、そうはいってもミステリにおけるプロパーとそれ以外の作家の差が一番出るのがここだろうから、それは致し方ないのかもしれない。