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塚本邦雄『十二神将変』(河出文庫)
前衛短歌の旗手として数多くの作品を残した塚本邦雄は小説も何作か手がけており、1974年に発表した『十二神将変』はなんとミステリ。ただし、そこらのミステリとは一線を画す、歌人・塚本邦雄の脳内イメージを俗界に落とし込んだような恐るべき作品であった。
こんな話。宝飾デザイナーの飾磨沙果子は、精神病理学者・飾磨天道と妻・須弥の娘。兄の正午、そして飾磨家に居候するサンスクリット学者の叔父・淡輪空晶との五人暮らしであった。真向かいには茶道の貴船家が居を構え、そこの娘・未雉子は正午に気があるような素振りを見せているのが沙果子には煩わしい。沙果子自身は兄の親友・薬種問屋の息子・最上立春に気があるが恋人という関係までには至っていない。
そんなある日、立春がホテルの一室で死体となって発見された。死因はヘロインの過剰摂取。奇妙なことにその傍には十二神将像の一体が転がっていた……。

うわああ、これは凄い。なぜ、これほどの作品をこれまで読んでいなかったのか。久々に頭の中をグルングルンさせてくれる作品を読んだ。恐ろしいほどに濃密な文章と内容。実は一回読んだだけでは消化しきれず、この感想を書くまでに二回も読んでしまった。くどいようだが、これは凄い作品だ。
一応ミステリとしての結構ではあるけれど、その面白さはほぼほぼ別のところにある。同じ畑違いの作家でも、先日読んだ野呂邦暢などは逆に清々しいほどミステリらしいミステリを書いていたが、塚本邦雄は理解できる人しか理解しないでいいいという、これもある意味徹底して潔いスタンス。一見さんにはかなり敷居が高いものの、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』とかが好きな人にはたまらない逸品だろう。
本作の魅力を探るとき、やはり文体を避けるわけにはいかない。まずは旧仮名遣いがベースにあるのだが、独特の漢字の言い回し、宗教などの専門用語、固有名詞もクセがある。慣れない人には当然読みにくいものがあるだろうが、この字面の雰囲気が、(1974年当時の)現代でありながら現代でない雰囲気、開かれたばかりの近代日本を彷彿とさせ、独特な世界観や登場人物たちで構成された物語であることを実感させてくれる。
文体とセットで考えてもいいだろう、溢れんばかりのペダンティズムもある。十二神将をはじめとする仏教的な知識、茶道や絵画、クラシックに至るまで、宗教と芸術が常に入り混じる会話は文体以上に読者を惑わせる。
さらには特に説明のないまま回想に入ったり、素性のわからない登場人物が現れて、そのまま退場したり。後半に入ってようやく合点がいくことも多くて、まあ好き勝手にやってくれている(苦笑)。
ただ、個人的に思ったのは、そういった文体やペダンティズムが、確かにそれ自体でも魅力的ではあるのだが、あえてストーリーを惑わせつつ、それでいて物語の核心をよりイメージとして伝えるための手段ではなかろうか、ということである。
本作は高尚な難解な文章で表現されながら、作中で語られるストーリーは、実は恐ろしいほど俗な人間の交わりであり、人の欲望である。上のあらすじで少し紹介したが、登場人物は精神病理学者や宗教家、茶道の家元等々、ある種の階級や身分意識に縛られた人々であり、どこかしら常識の枠を超えたところがある。そんな彼らの度を越した人間関係や欲望をストレートに描くのではなく、さまざまな描写のもとに忍びこませているのである。実際、本作には直接的な明言はないけれど、匂わせている事実は実に多い。そういった真相を探りながら読むのも一興であり、むしろそちらが正しい読み方なのかと思ったりもした次第である。
ともかくいくらでも深読みできるし、逆に表面的な文章やペダンティズムだけを楽しむのも、それはそれでまたよし。再読すればするほど楽しくなる小説がままあるけれど、本作などは正しくその代表であろう。
こんな話。宝飾デザイナーの飾磨沙果子は、精神病理学者・飾磨天道と妻・須弥の娘。兄の正午、そして飾磨家に居候するサンスクリット学者の叔父・淡輪空晶との五人暮らしであった。真向かいには茶道の貴船家が居を構え、そこの娘・未雉子は正午に気があるような素振りを見せているのが沙果子には煩わしい。沙果子自身は兄の親友・薬種問屋の息子・最上立春に気があるが恋人という関係までには至っていない。
そんなある日、立春がホテルの一室で死体となって発見された。死因はヘロインの過剰摂取。奇妙なことにその傍には十二神将像の一体が転がっていた……。

うわああ、これは凄い。なぜ、これほどの作品をこれまで読んでいなかったのか。久々に頭の中をグルングルンさせてくれる作品を読んだ。恐ろしいほどに濃密な文章と内容。実は一回読んだだけでは消化しきれず、この感想を書くまでに二回も読んでしまった。くどいようだが、これは凄い作品だ。
一応ミステリとしての結構ではあるけれど、その面白さはほぼほぼ別のところにある。同じ畑違いの作家でも、先日読んだ野呂邦暢などは逆に清々しいほどミステリらしいミステリを書いていたが、塚本邦雄は理解できる人しか理解しないでいいいという、これもある意味徹底して潔いスタンス。一見さんにはかなり敷居が高いものの、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、中井英夫の『虚無への供物』とかが好きな人にはたまらない逸品だろう。
本作の魅力を探るとき、やはり文体を避けるわけにはいかない。まずは旧仮名遣いがベースにあるのだが、独特の漢字の言い回し、宗教などの専門用語、固有名詞もクセがある。慣れない人には当然読みにくいものがあるだろうが、この字面の雰囲気が、(1974年当時の)現代でありながら現代でない雰囲気、開かれたばかりの近代日本を彷彿とさせ、独特な世界観や登場人物たちで構成された物語であることを実感させてくれる。
文体とセットで考えてもいいだろう、溢れんばかりのペダンティズムもある。十二神将をはじめとする仏教的な知識、茶道や絵画、クラシックに至るまで、宗教と芸術が常に入り混じる会話は文体以上に読者を惑わせる。
さらには特に説明のないまま回想に入ったり、素性のわからない登場人物が現れて、そのまま退場したり。後半に入ってようやく合点がいくことも多くて、まあ好き勝手にやってくれている(苦笑)。
ただ、個人的に思ったのは、そういった文体やペダンティズムが、確かにそれ自体でも魅力的ではあるのだが、あえてストーリーを惑わせつつ、それでいて物語の核心をよりイメージとして伝えるための手段ではなかろうか、ということである。
本作は高尚な難解な文章で表現されながら、作中で語られるストーリーは、実は恐ろしいほど俗な人間の交わりであり、人の欲望である。上のあらすじで少し紹介したが、登場人物は精神病理学者や宗教家、茶道の家元等々、ある種の階級や身分意識に縛られた人々であり、どこかしら常識の枠を超えたところがある。そんな彼らの度を越した人間関係や欲望をストレートに描くのではなく、さまざまな描写のもとに忍びこませているのである。実際、本作には直接的な明言はないけれど、匂わせている事実は実に多い。そういった真相を探りながら読むのも一興であり、むしろそちらが正しい読み方なのかと思ったりもした次第である。
ともかくいくらでも深読みできるし、逆に表面的な文章やペダンティズムだけを楽しむのも、それはそれでまたよし。再読すればするほど楽しくなる小説がままあるけれど、本作などは正しくその代表であろう。
Comments
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駿河屋の通販に500円のものがあったからポチってしまいました。
sugataさんのせいですからね!w(←ちがうw)
Posted at 19:02 on 09 07, 2022 by ポール・ブリッツ
Edit
ポール・ブリッツさん
好き嫌いはあると思うのですが、一度は読んでおくべき作品ですね。
中毒性も高くて、私も一回目は理解できないところもあって、早々に再読しました。
Posted at 19:25 on 09 05, 2022 by sugata
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「本格ミステリ・フラッシュバック」を読んで以来、気になっていた小説です。
長いこと、買うか、購入するかの二択で迷っていましたが、この記事を読んで、できるだけ早急に購買することに決めました。あとは予算だけですが……。
Posted at 00:36 on 09 05, 2022 by ポール・ブリッツ
ポール・ブリッツさん
お楽しみください〜!
Posted at 20:03 on 09 07, 2022 by sugata