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フレデリック・ダール『夜のエレベーター』(扶桑社ミステリー)
フレデリック・ダールの『夜のエレベーター』を読む。フランス・ミステリーを代表する作家だが、なぜか我が国では紹介の進まない作家である。クラシックミステリーの復刻ブームでも完全に蚊帳の外だったが、まあ、ダールに限らずフランス・ミステリ全体がそうなんだけど。
ところで本書を買って、まず「アレ?」と思ったのが、訳者の長島良三という名前である。もちろんメグレなどの翻訳・研究などで有名な方ではあるが、もう随分前に亡くなったのではなかったか。すると解説に答が書いてあって、生前に発表媒体のあてもなく訳したものの結局は受け皿がなく、それが今になって見つかったものだという。
ううむ、長島氏のレベルでもそういうことがあるのか。ただ、ダールを受け入れるニーズと土壌は、当時より今の方が多少マシだとは思うし、実際こうやって出版できたわけだから、ぜひ本書がそこそこ売れてもっと翻訳が進んでほしいものだ。
それはともかく、こんな話。六年ぶりの我が家に帰ってきたアルベール。しかし、母親もとうに亡くなり、空っぽの部屋は孤独が増すばかりであった。しかしクリスマス・イヴぐらいはと思い、子供の頃に憧れた店で食事をしていると、かつての恋人に似た子連れの女性に出会う。ふらふらと後をつけ、彼女たちの入った映画館で隣り合わせになり、話しかけることもできたアルベール。そして彼女たち親子を自宅まで送り、酒までご馳走になってしまうのだが……。

いかにもフランス・ミステリらしいウェットなサスペンスである。内省的で孤独な青年を主人公にし、その心情をこれでもかとばかりに描写する中、現れるのはいかにも曰くありげな女性だ。最初はヒロイン然とした彼女が実はとんでもない悪女だと徐々に明らかになっていくのもお約束。主人公が悪女に絡め取られる、その過程が読者をハラハラとさせるが、そのくせ決して同情できるようには書かないのがダールの巧いところである。
かように心理サスペンスはフランス・ミステリのお家芸ではあるが、ミステリの仕掛けにおけるチャレンジも忘れてはいけないところだ。仕掛けといってもトリックとかに限らない。ミステリの型を破るというか、ルールに捉われないというか、そういう実験小説的な志向である。だから画期的な作品も生まれるが、同じくらい馬鹿げた作品も生まれるのだろう。
実は本作でも有名なトリックが使われており(おそらくはパクリだと思うけれど)、これが本来はけっこう豪快なトリックなのだが、使われるシチュエーションのせいで、どうにもストーリーから浮いてしまう。そのため序盤から中盤にかけての雰囲気とこのトリックの存在感がケンカしているというか、もっというとオリジナル・トリックの価値を貶めそうなイメージすらある(苦笑)。
一応ストーリーに溶け込ませようという努力は感じられるものの、この状況で使われるトリックではないよなあ。
ただ、そういう勇み足な部分も含めて、個人的には嫌いな作品ではない。決して傑作ではないけれど、愛すべき作品だなという印象。長島氏が訳したのも案外そんなところが気に入ったからではなかったかと思う次第である。
ところで本書を買って、まず「アレ?」と思ったのが、訳者の長島良三という名前である。もちろんメグレなどの翻訳・研究などで有名な方ではあるが、もう随分前に亡くなったのではなかったか。すると解説に答が書いてあって、生前に発表媒体のあてもなく訳したものの結局は受け皿がなく、それが今になって見つかったものだという。
ううむ、長島氏のレベルでもそういうことがあるのか。ただ、ダールを受け入れるニーズと土壌は、当時より今の方が多少マシだとは思うし、実際こうやって出版できたわけだから、ぜひ本書がそこそこ売れてもっと翻訳が進んでほしいものだ。
それはともかく、こんな話。六年ぶりの我が家に帰ってきたアルベール。しかし、母親もとうに亡くなり、空っぽの部屋は孤独が増すばかりであった。しかしクリスマス・イヴぐらいはと思い、子供の頃に憧れた店で食事をしていると、かつての恋人に似た子連れの女性に出会う。ふらふらと後をつけ、彼女たちの入った映画館で隣り合わせになり、話しかけることもできたアルベール。そして彼女たち親子を自宅まで送り、酒までご馳走になってしまうのだが……。

いかにもフランス・ミステリらしいウェットなサスペンスである。内省的で孤独な青年を主人公にし、その心情をこれでもかとばかりに描写する中、現れるのはいかにも曰くありげな女性だ。最初はヒロイン然とした彼女が実はとんでもない悪女だと徐々に明らかになっていくのもお約束。主人公が悪女に絡め取られる、その過程が読者をハラハラとさせるが、そのくせ決して同情できるようには書かないのがダールの巧いところである。
かように心理サスペンスはフランス・ミステリのお家芸ではあるが、ミステリの仕掛けにおけるチャレンジも忘れてはいけないところだ。仕掛けといってもトリックとかに限らない。ミステリの型を破るというか、ルールに捉われないというか、そういう実験小説的な志向である。だから画期的な作品も生まれるが、同じくらい馬鹿げた作品も生まれるのだろう。
実は本作でも有名なトリックが使われており(おそらくはパクリだと思うけれど)、これが本来はけっこう豪快なトリックなのだが、使われるシチュエーションのせいで、どうにもストーリーから浮いてしまう。そのため序盤から中盤にかけての雰囲気とこのトリックの存在感がケンカしているというか、もっというとオリジナル・トリックの価値を貶めそうなイメージすらある(苦笑)。
一応ストーリーに溶け込ませようという努力は感じられるものの、この状況で使われるトリックではないよなあ。
ただ、そういう勇み足な部分も含めて、個人的には嫌いな作品ではない。決して傑作ではないけれど、愛すべき作品だなという印象。長島氏が訳したのも案外そんなところが気に入ったからではなかったかと思う次第である。
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