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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


アンドニス・サマラキス『きず』(創元推理文庫)

 アンドニス・サマラキスの『きず』を読む。翻訳ミステリとしては、おそらく現時点で読める唯一のギリシャの長篇ミステリである(といっても長らく品切れではあるが)。近々、竹書房から発売されるという『ギリシャ・ミステリ短篇傑作集(仮題)』の予習としてそろそろ読もうと思っていたところへ、少し前にコメントでポール・ブリッツさんからもお薦めしていただいたので、それではと着手してみた次第。

 きず

 こんな話。カフェ・スポーツで酒を飲んでいた男は、突然、反政府運動の容疑で二人の男に逮捕された。尋問官とマネージャーと呼ばれる二人の男は、取り調べが行われる首都まで彼を車で連行するという。男にはまったく身に覚えのないことだったが、尋問官とマネージャーは特に荒っぽいわけでもないので、仕方なく市民の務めとばかりにおとなしく従うことにする。ところが途中で車が故障し、男は尋問官と午後をその街で過ごすことになり……。

 ロードノヴェルとポリティカルスリラーを足して二で割ったような作品。カフェ・スポーツの男と、彼を連行する尋問官とマネージャーの三人によるドライブがほぼ全編にわたって描かれる。
 もちろん普通のドライブではない。容疑者連行のためのドライブである。ところがそこに緊張感はほぼなく、むしろユーモラスですらある。おまけに男と尋問官の間に変な友情が芽生え始めるとくれば、ロードノヴェルにはありがちな展開といえるだろう。

 しかし、面白いのはここからで、実は本作、男と尋問官の視点でそれぞれのパートが交互に描かれるという構成になっており、その一方の尋問官のパートがミソ。実はこのドライブには特攻警察の密かな計画が隠されており、尋問官のパートでそれが徐々に明らかになってゆく。
 とはいえ、その計画もどちらかというとギャグのようなものなのだが、著者はこれらを逆手にとって、冗談のような話が実は冗談でもなんでもないことを終盤で突きつけてくる。ロードノヴェルがポリティカルスリラーに変貌する瞬間というか、この緩急が巧い。実はユーモラスでもなんでもなく、現実の悲惨さを描いていたのである。

 解説にも詳しいが、著者の心情や経歴がストレートに反映された作品で、これが品切れはちょっともったいない。今の時代にも通づるところは多いし、『ギリシャ・ミステリ短篇傑作集(仮題)』も出ることだから、重版するなら今では。>東京創元社さん


Comments

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ポール・ブリッツさん

私も前半のカットバックなどはむしろ余計かなと思ったのですが、中盤ぐらいからじわじわ効いてきますね。
個人邸にはSFとまでは思いませんでしたが、ある意味ストーリーにシュールさは感じましたし、それが近未来的なイメージを醸し出しているのかなと思いました。
ともあれ良書のご紹介、ありがとうございます。

Posted at 23:19 on 05 06, 2023  by sugata

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この本は、もしかして作者文章が下手なのではないか?と思わせておいてからの中盤でのギアチェンジにまずびっくりしました。えっ、マジでそう来るの、って。

作中明らかになる陰謀の正体も、ミステリというよりはSF的なものを感じます。自分は読んでひっくり返りそうになりました。ファミレスで読んでたのであわやのところでこらえましたが(笑)。

とにかく、結末の驚愕の人間ドラマはぜひみんなに読んでもらいたいので、これから読む人には序盤を読んだだけで投げ出さないように、といいたいですね。

旧版「東西ミステリーベスト100」の198位に入っていたのは大健闘です。組織票でもあったのかなあ。あれがなかったら読んでなかったので、こういう組織票なら大歓迎なんですが……。

追記
というか、アメリカ人とかイギリス人とか日本人がこの小説書いたとしたら、普通に「ディストピアSF小説」で通っていたと思う(笑)。

Posted at 22:44 on 05 06, 2023  by ポール・ブリッツ

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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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