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フェルディナント・フォン・シーラッハ『珈琲と煙草』(東京創元社)
フェルディナント・フォン・シーラッハ『珈琲と煙草』を読む。先日の記事のとおり、カテゴリ表記を「フォン・シーラッハ(フェルディナント)」から「シーラッハ, フェルディナント・フォン」に修正しております。

本書はこれまでの作品とは少々、毛色が変わっている。全部で48章に分かれているのだが、著者はそれらの文章を「観察」と称しているのである。つまり本書は、著者が日々の暮らしや仕事において観察してきた人々の観察記録なのである。
ただ、その観察の成果はエッセイ風であったりショートショート風であったり、もはやノンフィクションとフィクションの区別すらない。しかしながら著者のフィルターを通すことによって、ただの情景描写にすら何らかの意図が隠されていることは明確であり、その意味では実はエッセイに見せかけた創作集という見方が適切ではないだろうか。
その中身だが、いつものシーラッハの書きっぷりは健在である。淡々として、どこか虚無的なところすら感じさせる文章。もちろん明確な起承転結などもなく、そもそも今回はエッセイ的な作品も多いので、余計に自由に書いている印書が強い。なかにはほんの数行のものまである。
とはいえ、わかりにくいだけではなく、時事的な問題を打ち出したり、著者自身の思い出を混じえていたり、手がかりはゴロゴロ転がっていることも確か。見た目は自由に思えるけれど、著者はかなり計算しているはずであり、そういう点も含めて著者のメッセージを受け止める楽しさが本書にはある。
そんなわけで、シーラッハを長く読んでいるファンであれば、実に興味深い一冊といえる。
逆に、本書だけではシーラッハの凄さはピンとこないと思うので、一見さんは『犯罪』などの短篇集を読んでからにするのが吉であろう。

本書はこれまでの作品とは少々、毛色が変わっている。全部で48章に分かれているのだが、著者はそれらの文章を「観察」と称しているのである。つまり本書は、著者が日々の暮らしや仕事において観察してきた人々の観察記録なのである。
ただ、その観察の成果はエッセイ風であったりショートショート風であったり、もはやノンフィクションとフィクションの区別すらない。しかしながら著者のフィルターを通すことによって、ただの情景描写にすら何らかの意図が隠されていることは明確であり、その意味では実はエッセイに見せかけた創作集という見方が適切ではないだろうか。
その中身だが、いつものシーラッハの書きっぷりは健在である。淡々として、どこか虚無的なところすら感じさせる文章。もちろん明確な起承転結などもなく、そもそも今回はエッセイ的な作品も多いので、余計に自由に書いている印書が強い。なかにはほんの数行のものまである。
とはいえ、わかりにくいだけではなく、時事的な問題を打ち出したり、著者自身の思い出を混じえていたり、手がかりはゴロゴロ転がっていることも確か。見た目は自由に思えるけれど、著者はかなり計算しているはずであり、そういう点も含めて著者のメッセージを受け止める楽しさが本書にはある。
そんなわけで、シーラッハを長く読んでいるファンであれば、実に興味深い一冊といえる。
逆に、本書だけではシーラッハの凄さはピンとこないと思うので、一見さんは『犯罪』などの短篇集を読んでからにするのが吉であろう。
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