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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


池央耿『翻訳万華鏡』(河出文庫)

 ミステリ関係の評論やエッセイといえば、作家や評論家、書評家はもちろんだが、最近は翻訳者の著作もよく見るようになった。なんとなくだけれど、やはりその背景にはインターネットやSNSの発達があるように思われる。これまではそもそういう場の少なかった翻訳者だが、自らホームページやブログ、SNSなどを通じて発言する機会が増え——それこそ翻訳者ならではの苦労や面白いエピソードも多いはずなので——それが書籍化に結びついているように思う。
 ただ、翻訳者に限らず、積極的にそういった発信を行うのは、やはり若い人たちが中心である。今現在、精力的に活躍している人の話はもちろん面白いのだけれど、個人的には自分が若い頃に読書でお世話になったベテラン翻訳者、これまであまり発信する機会のなかった方々の話を聞いてみたいのである。
 そういった欲求を満たしてくれる本が、この度文庫になった。池央耿の『翻訳万華鏡』である。

 翻訳万華鏡
▲池央耿『翻訳万華鏡』(河出文庫)【amazon

 思えば池央耿という翻訳者は、海外ミステリを読み始めた頃から頻繁に目にする名前であった。しかし、上で書いたように、この時代から活躍している翻訳者はブログやSNSではほぼお目にかかれない。池央耿も同様で、その業績こそ翻訳書があるから一応知ってはいても、どういう人物なのか一切不明なのである。そんなモヤモヤしたところが今回の読書で解消されたのがまず何よりであった。

 内容も予想以上に面白かった。個人的に気になっていたのは、著者が訳したミステリに関する裏話やエピソードがどれぐらい盛り込まれているかであったが、光文社の『EQ』や「黒後家蜘蛛の会」シリーズや「マフィアへの挑戦」シリーズなど、これまであまり知られていない話も多く取り上げられ、ミステリ好きには十分に渇きを癒せるものだった。特に「マフィアへの挑戦」について言及されている本なんて滅多にないので、当時のマフィアブームに絡む出版事情が読めて実に楽しかった。

 ただ、厳密にいうと、この本の真価はミステリファンのための裏話なんかではなく、翻訳者・池央耿の凄さを改めて知らしめてくれたことにある。どうしてもエンタメ系の業績に目を奪われてしまいがちだが、著者の長年の活躍は、紛れもなく著者の古典や文学、日本語に対する造詣の深さに支えられてきたものであることがわかるし、本書中で披露されるそのハイブロウな遊びにも唸らされる。
 決して系統立てた翻訳論とかいう類ではない。もっと一般に向けて書かれた軽いエッセイではあるのだが、それでも文学や日本語に対して、いろいろと気付かされる点が多い好著であった。

Comments

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ルルさん

そうですね、翻訳者は大変です。私がたまに読んでいるヒラヤマ探偵文庫などは、ヴィクトリア朝時代の作品が多いので、積極的に訳注を入れてらっしゃいますね。

でもあれですね。唐突に「ドラモンド」とか「パーシー卿」とか出てくれば、なんのことだかと調べるでしょうが、まずいのは気づかない場合ですよね。文章の前後関係とか文脈で推測するしかないのでしょうが、そういうところに教養や知識が必要になってくるので、まあ、恐ろしい限りです。私はようやりません(苦笑)。

Posted at 22:51 on 02 28, 2024  by sugata

Edit

 翻訳者はただ単に英文を和訳すればいいというものではないですね。それこそ古典への造詣の深さは大切ですね。
 最近『王女に捧ぐ身辺調査』という第二次大戦終戦直後の英国を舞台にしたミステリーを読みました。登場人物の会話の中に「ドラモンド」とか「パーシー卿」という人名が出てきます。前者はサッパーの冒険小説の主人公、後者はオルツイ『紅はこべ』の貴族パーシー・ブレイクニー。英国の読者なら知っているだろうけど、はたして翻訳者はそれを知っているのかどうか気になりました。特に注釈は無かったけど、現代の若い日本の読者には何のことか分からないのではないでしょうか。

Posted at 22:31 on 02 28, 2024  by ルル

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プロフィール

sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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