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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


国枝史郎『蔦葛木曽棧(下)』(講談社大衆文学館)

 DVD『ターミネーター3』をレンタルにて鑑賞。シリーズ第一作はかなり思い入れがあるが、2や3はもうそこそこ楽しければいいやって感じ。2はまだビジュアル的に見るべきものがあったが、本作はストーリーやSF的整合性はもちろん、ビジュアル的にも2に比べてどうかいなというところ。もう続編は止めてほしいっす。

 国枝史郎の『蔦葛木曽棧(下)』読了。
 ううむ、一気に読もうと思っていたが、仕事の都合でけっこう手間取ってしまった。しかし、だからといってつまんないわけではない。『神州纐纈城』に続いてこちらも文句のつけようがない傑作。
 先日も書いたが、大正時代にこのような伝奇小説が書かれたことにただ驚くばかりである。しかもこれらの傑作群がほぼ同時期に書かれている。
 昨今の伝奇小説のように、科学的なアプローチやオカルトや格闘技等のサブカル的味付けはほとんどないのだが、宗教的・歴史的・民俗学的な部分、正に伝奇小説の根本といえる部分は圧倒的である。人が人を呼び、事件が事件を招く様は、物語の持つ力を嫌というほど再確認させてくれる。

 恐れ入ったのは、なんと二つの結末が用意されていることである(浅学にして知りませんでしたが)。
 といってもひとつはまったくの尻切れトンボで、雑誌連載時に中断したままの状態で、それに著者の断り書きがつけられている未完バージョン。
 もうひとつはストーリー上の結末が一応つけられている形で、こちらは連載中断後に書籍としてまとまられた際、終盤の数章を削除して、かつ結末部分を書き加えた完結バージョンだ。
 現在ではこの2パターンを両方とも収録したものが、『蔦葛木曽棧』の定番となっているらしい。世評では、物語のダイナミズムを失わないでいるという理由から、未完の方が高く評価されているようだ。

 思うに伝奇小説というのはその奔放な過程がやはり大切なのであって、大風呂敷は広げてくれた方が楽しめるのは自明の理。その結果収拾がつかなくなるパターンが多いのはある程度仕方ないことで、今も昔もこれは変わらないような気がする(夢枕獏の「サイコダイバー」とか「キマイラ」とか平井和正の「幻魔大戦」とか)。
 で、この辺は本書の解説にも書いてあるのだが、未完であればその壮大な物語がどのように展開するのか、読者の想像に委ねられるところがあるため、無理に完結して伝奇小説の良さを損なわせるよりはよっぽどよいという考えらしい。完結バージョンがこれまでの奔放な作品を慌ただしく収束させ、ごく当たり前のハッピーエンドを持ってきたところに非難が集まるというのはなんとなく理解できるところである。

 ただ、どっちにしろ過程を楽しむのが伝奇小説の本分だとすれば、駆け足だろうが出来が多少悪かろうが、一応の結末をつけることにも十分な意義はあると思う。これだけ堪能させてくれれば、多少結末が粗っぽくても読み終えたという満足感は得られるし、これはこれで読者にとって大切なことではないか。
 トータルで考えれば完結バージョンをつけたことは決して悪いことではないと思うのだが如何に?

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sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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