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ネルソン・デミル『王者のゲーム(下)』(講談社文庫)
ネルソン・デミル『王者のゲーム(下)』(講談社文庫)を読了。
リビアのテロリスト、アサドを護送するジャンボジェットがアメリカに護送されてくる。だが、その飛行機からは再三の呼びかけにかかわらず何の応答もない。空港側であらゆる状況を想定するなか、飛行機は無事着陸したが、中の乗員乗客はすべて死亡していた……。
アサドはアメリカのリビア空爆に対する復讐者として送り込まれたテロリストである。連邦テロリスト対策チームの面々の裏をかき、合衆国に潜り込んだ彼は、1人、また1人と犠牲者を増やしてゆく。元ニューヨーク市警の刑事にして連邦テロリスト対策チームのメンバー、ジョン・コーリーはテロリストの追跡を開始した!
うう、下巻だけで八日間もかかっちまった。まあ、とにかく分厚い本だがやはりデミルのリーダビリティは高い。もっとヒマだったら一気に読んでいたことでしょう。ただ、面白いことは面白いが、それほどのものか、という気もするのはどうしたことか?
思うに本書はプロットに気を遣いすぎて、ややキャラクター造詣に失敗した嫌いがある。本書は基本的に、主人公の捜査官ジョン・コーリーの一人称と、テロリストであるアサドを描写する三人称の交互で描かれる。これがもうひとつ中途半端。
どちらかというとコーリーのパートは、その性格も相まって軽ハードボイルド的なノリである。これが本書のスケールとどうにもマッチしていない。軽口が多いこともあって緊迫感に欠け、目立つのは相棒の女性捜査官とのロマンスや仲間との軋轢ばかりで、これがいかにも安いハードボイルド風なのだ。世界でもトップレベルのテロリストが送り込まれているうえに、300人という犠牲者が最初に出るのだから、捜査する側にもある程度の重さやキレみたいなものが欲しい。
前作の『プラムアイランド』ではコーリーにももう少し深みがあったと思うのだが……。ここは三人称で、できるだけノンフィクション的に進めた方が緊迫感も重さも増した気がする。
対するテロリストのアサド。こちらも最初は強烈だが、徐々に失速していく。恐ろしいくらいの冷徹さをもって、機械的に殺人を繰り広げるはずが、だんだん人間くささが出はじめるのである。こういうのがまずいんだよなぁ。アサドの生い立ちやテロリストとしての教育に関する描写はけっこう面白く読めるが、終盤でコーリーと電話で話すあたりになると、全然アマチュアっぽくて悲しくなってくる。だいたい電話で刑事と話してちゃダメでしょ。暗殺者が。
ここまで書いててふと思ったが、これ、もしかして『ダイ・ハード』みたいなのがデミルの頭の中にあったのかもしれない。つまりより一般的に受け入れやすそうな作りというか要は映画化狙いというか。そうするとこの軽さは理解できる。確かにエンターテインメントとしては十分な出来だ。
ただ、ただ、言わせてもらえれば、ネルソン・デミルはもうそんなの書く必要ないでしょ。重くても暗くてもいいから、あの『誓約』の感動をもう一度与えてほしい。スチュアート・ウッズは二人もいらんのだ。
リビアのテロリスト、アサドを護送するジャンボジェットがアメリカに護送されてくる。だが、その飛行機からは再三の呼びかけにかかわらず何の応答もない。空港側であらゆる状況を想定するなか、飛行機は無事着陸したが、中の乗員乗客はすべて死亡していた……。
アサドはアメリカのリビア空爆に対する復讐者として送り込まれたテロリストである。連邦テロリスト対策チームの面々の裏をかき、合衆国に潜り込んだ彼は、1人、また1人と犠牲者を増やしてゆく。元ニューヨーク市警の刑事にして連邦テロリスト対策チームのメンバー、ジョン・コーリーはテロリストの追跡を開始した!
うう、下巻だけで八日間もかかっちまった。まあ、とにかく分厚い本だがやはりデミルのリーダビリティは高い。もっとヒマだったら一気に読んでいたことでしょう。ただ、面白いことは面白いが、それほどのものか、という気もするのはどうしたことか?
思うに本書はプロットに気を遣いすぎて、ややキャラクター造詣に失敗した嫌いがある。本書は基本的に、主人公の捜査官ジョン・コーリーの一人称と、テロリストであるアサドを描写する三人称の交互で描かれる。これがもうひとつ中途半端。
どちらかというとコーリーのパートは、その性格も相まって軽ハードボイルド的なノリである。これが本書のスケールとどうにもマッチしていない。軽口が多いこともあって緊迫感に欠け、目立つのは相棒の女性捜査官とのロマンスや仲間との軋轢ばかりで、これがいかにも安いハードボイルド風なのだ。世界でもトップレベルのテロリストが送り込まれているうえに、300人という犠牲者が最初に出るのだから、捜査する側にもある程度の重さやキレみたいなものが欲しい。
前作の『プラムアイランド』ではコーリーにももう少し深みがあったと思うのだが……。ここは三人称で、できるだけノンフィクション的に進めた方が緊迫感も重さも増した気がする。
対するテロリストのアサド。こちらも最初は強烈だが、徐々に失速していく。恐ろしいくらいの冷徹さをもって、機械的に殺人を繰り広げるはずが、だんだん人間くささが出はじめるのである。こういうのがまずいんだよなぁ。アサドの生い立ちやテロリストとしての教育に関する描写はけっこう面白く読めるが、終盤でコーリーと電話で話すあたりになると、全然アマチュアっぽくて悲しくなってくる。だいたい電話で刑事と話してちゃダメでしょ。暗殺者が。
ここまで書いててふと思ったが、これ、もしかして『ダイ・ハード』みたいなのがデミルの頭の中にあったのかもしれない。つまりより一般的に受け入れやすそうな作りというか要は映画化狙いというか。そうするとこの軽さは理解できる。確かにエンターテインメントとしては十分な出来だ。
ただ、ただ、言わせてもらえれば、ネルソン・デミルはもうそんなの書く必要ないでしょ。重くても暗くてもいいから、あの『誓約』の感動をもう一度与えてほしい。スチュアート・ウッズは二人もいらんのだ。
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