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グレアム・グリーン『スタンブール特急』(早川書房)
グレアム・グリーンと言えば、文句なしにイギリスを代表する偉大な作家の一人。思想と取材によって裏づけされたその作品群は、純文学とエンターテインメントの狭間を自由に泳いでいるという印象が強い。
「印象が強い」と書いたのは、私がグリーンの作品を一冊も読んだことがなく、雑誌やガイドブック等の伝聞でしかグリーンの作品を知らないからである。一応ミステリ歴三十年、マニアと言えるぐらいはミステリを読んできた身である。こんなことでは恥ずかしい。巨匠グリーンの作品を読まずしてミステリを語るなど、ましてや英文学を語るなどもってのほか、実におこがましいではないか。というわけで読んだのが『スタンブール特急』だ。<嘘です。適当に積ん読から選んだだけです。
パリからイスタンブールまでを走るオリエント急行。そこにたまたま乗り合わせることになった乗客たちが引き起こす人間ドラマ。終点に待つのは夢か、それとも苦い涙か。
本作には物語のはっきりした縦軸というものがない。いや、ないというわけではないな。複数の主人公たちがそれぞれのドラマを抱え、ときにはそれぞれのドラマが交錯し、それがさらなるドラマを紡いでゆくのだ。複数の縦軸が同時に進行する、といった方が適切だろう。
今では珍しくもないが、当時としてはなかなか新鮮な映画のカットバック的手法によって、それらの縦軸が断片的に展開してゆく。
おそらく読者は自然と思い入れの強い登場人物を持つようになるだろう。それによって人それぞれの読後感が生まれる。恋愛、女性のキャリア指向、差別、政治、国際問題、上昇志向、犯罪……キーになる言葉もさまざまである。あなたがたまたま乗り合わせた客室に誰が座っているのか、運命は列車とともに走り出す。
あるいは別段、感情移入などする必要はないのかもしれない。ただただ作者の操るままに車窓の景色を楽しむという手もある。ただし、あなたが楽しむ景色は車窓の外側ではなく、内側の人間ドラマだ。
本作はまさしく上質のエンターテインメントである。この「エンターテインメント」という言葉も、現在はごく普通に小説の形容として使われているが、実は本書の副題としてグリーンが初めて使ったらしい。恐るべし、グレアム・グリーン。
お次は映画でも有名な『第三の男』にでもしようか。
「印象が強い」と書いたのは、私がグリーンの作品を一冊も読んだことがなく、雑誌やガイドブック等の伝聞でしかグリーンの作品を知らないからである。一応ミステリ歴三十年、マニアと言えるぐらいはミステリを読んできた身である。こんなことでは恥ずかしい。巨匠グリーンの作品を読まずしてミステリを語るなど、ましてや英文学を語るなどもってのほか、実におこがましいではないか。というわけで読んだのが『スタンブール特急』だ。<嘘です。適当に積ん読から選んだだけです。
パリからイスタンブールまでを走るオリエント急行。そこにたまたま乗り合わせることになった乗客たちが引き起こす人間ドラマ。終点に待つのは夢か、それとも苦い涙か。
本作には物語のはっきりした縦軸というものがない。いや、ないというわけではないな。複数の主人公たちがそれぞれのドラマを抱え、ときにはそれぞれのドラマが交錯し、それがさらなるドラマを紡いでゆくのだ。複数の縦軸が同時に進行する、といった方が適切だろう。
今では珍しくもないが、当時としてはなかなか新鮮な映画のカットバック的手法によって、それらの縦軸が断片的に展開してゆく。
おそらく読者は自然と思い入れの強い登場人物を持つようになるだろう。それによって人それぞれの読後感が生まれる。恋愛、女性のキャリア指向、差別、政治、国際問題、上昇志向、犯罪……キーになる言葉もさまざまである。あなたがたまたま乗り合わせた客室に誰が座っているのか、運命は列車とともに走り出す。
あるいは別段、感情移入などする必要はないのかもしれない。ただただ作者の操るままに車窓の景色を楽しむという手もある。ただし、あなたが楽しむ景色は車窓の外側ではなく、内側の人間ドラマだ。
本作はまさしく上質のエンターテインメントである。この「エンターテインメント」という言葉も、現在はごく普通に小説の形容として使われているが、実は本書の副題としてグリーンが初めて使ったらしい。恐るべし、グレアム・グリーン。
お次は映画でも有名な『第三の男』にでもしようか。
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