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ミルワード・ケネディ『救いの死』(国書刊行会)
もう十月である。年をとると一年の経つのが早いが、今年はまたとりわけ早い。加速度的に老化への道を進んでいるような気がして、なんとなくあせる。
本日の読了本はミルワード・ケネディの『救いの死』。おなじみ国書刊行会の「世界探偵小説全集」からの一冊である。なかなか読後に考えさせられる作品というか怪作というか。本格は本格だが、これはけっこう好き嫌いが分かれる作品だろう。
気になってネット上の感想をいくつか見てみると、何とたいていの人が否定的な意見を述べている。おお、確かに読後感の良くない作品なのだが、ここまで嫌われるとはなぁ。
とある小さな村で名士を自認するエイマー氏は、隣に住むモートン氏がかつて一世を風靡した映画俳優ボウ・ビーヴァーに似ていることに気づき、密かに調査を開始する。
言ってしまえばこれでストーリー紹介はお終い。作者自らが語るように、この小説は「推理」そのものをモチーフとしている。手記はほぼ全編にわたってエイマー氏の思考と捜査活動が記されているだけで、物語そのものにそれほど大きな動きはないのだ。
とりあえず読者は(そして表向きは)エイマー氏の推理につき合わされるわけだが、ただ目次にあるように、それは第一部の話である。終盤の第二部では「別の視点」によって物語が進められることが示唆されている。そこで容易に想像できるのは、一見論理的に見えるエイマー氏の推理が、実は間違っていたというパターンだ。
実はここがミソである。それだけのことなら、先人が既に同じ趣向のものを書いてしまっている。たとえばバークリーの『毒入りチョコレート事件』とか。作者はそれを逆手に取る。第二部の「別の視点」では、読者の予想を悪い方向に裏切ってくれるのだ。ここではネタバレはしないが、この第二部が読後感の悪さを印象づける要因のひとつであろう。
そしてもうひとつ、読後感の悪さを決定づけるポイントがある。それはモチーフが「推理」だけではなく、実は「探偵」という存在そのものでもあるからだ。これが曲者で、ここでの「探偵」は決して良い意味での名探偵を指すわけではない。どちらかといえば、人のアラを探したり、こそこそのぞき見をしたり、自分の能力を鼻にかけたり、言い訳をしたり、およそ数ある名探偵の悪い部分を茶化しているのである。そしてそれを具現化した人物が主人公たるエイマー氏なのだ。
エイマー氏の手記であるから、彼は自分に都合が悪いことは書かないし、自分の知性や教養についても謙遜する。それでいながら、実は彼がそれを自慢していることが、手記からにじみ出ているのだ。だから読者はエイマー氏に対し、最初は「名探偵気取りのかわいいオヤジ」だと思っていても、だんだんと嫌悪感がつのってくるわけである。
本書は肝心の推理・謎解きの部分が弱いため、結果的にこれらの不快感ばかりが目立ち、それ故に評価が低くなってしまったのかも知れない。
だが、作者の試みは意地が悪いが、狙いは相当面白いと思う。少なくとも本格探偵小説をマニアックに語りたいなら、一度は読んでおくべき作品ではないだろうか。『救いの死』というタイトルもブラックでいいなあ。
本日の読了本はミルワード・ケネディの『救いの死』。おなじみ国書刊行会の「世界探偵小説全集」からの一冊である。なかなか読後に考えさせられる作品というか怪作というか。本格は本格だが、これはけっこう好き嫌いが分かれる作品だろう。
気になってネット上の感想をいくつか見てみると、何とたいていの人が否定的な意見を述べている。おお、確かに読後感の良くない作品なのだが、ここまで嫌われるとはなぁ。
とある小さな村で名士を自認するエイマー氏は、隣に住むモートン氏がかつて一世を風靡した映画俳優ボウ・ビーヴァーに似ていることに気づき、密かに調査を開始する。
言ってしまえばこれでストーリー紹介はお終い。作者自らが語るように、この小説は「推理」そのものをモチーフとしている。手記はほぼ全編にわたってエイマー氏の思考と捜査活動が記されているだけで、物語そのものにそれほど大きな動きはないのだ。
とりあえず読者は(そして表向きは)エイマー氏の推理につき合わされるわけだが、ただ目次にあるように、それは第一部の話である。終盤の第二部では「別の視点」によって物語が進められることが示唆されている。そこで容易に想像できるのは、一見論理的に見えるエイマー氏の推理が、実は間違っていたというパターンだ。
実はここがミソである。それだけのことなら、先人が既に同じ趣向のものを書いてしまっている。たとえばバークリーの『毒入りチョコレート事件』とか。作者はそれを逆手に取る。第二部の「別の視点」では、読者の予想を悪い方向に裏切ってくれるのだ。ここではネタバレはしないが、この第二部が読後感の悪さを印象づける要因のひとつであろう。
そしてもうひとつ、読後感の悪さを決定づけるポイントがある。それはモチーフが「推理」だけではなく、実は「探偵」という存在そのものでもあるからだ。これが曲者で、ここでの「探偵」は決して良い意味での名探偵を指すわけではない。どちらかといえば、人のアラを探したり、こそこそのぞき見をしたり、自分の能力を鼻にかけたり、言い訳をしたり、およそ数ある名探偵の悪い部分を茶化しているのである。そしてそれを具現化した人物が主人公たるエイマー氏なのだ。
エイマー氏の手記であるから、彼は自分に都合が悪いことは書かないし、自分の知性や教養についても謙遜する。それでいながら、実は彼がそれを自慢していることが、手記からにじみ出ているのだ。だから読者はエイマー氏に対し、最初は「名探偵気取りのかわいいオヤジ」だと思っていても、だんだんと嫌悪感がつのってくるわけである。
本書は肝心の推理・謎解きの部分が弱いため、結果的にこれらの不快感ばかりが目立ち、それ故に評価が低くなってしまったのかも知れない。
だが、作者の試みは意地が悪いが、狙いは相当面白いと思う。少なくとも本格探偵小説をマニアックに語りたいなら、一度は読んでおくべき作品ではないだろうか。『救いの死』というタイトルもブラックでいいなあ。
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