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探偵小説三昧

日々,探偵小説を読みまくり、その感想を書き散らかすブログ


フリードリヒ・グラウザー『狂気の王国』(作品社)

 朝日新聞の夕刊にトホホなニュースが掲載されていて、思わずネットで詳しく調べてみる。なんとあのジョルジュ・シムノンの甥の娘にあたる女性が、同棲相手の男性を木槌で殴り殺したらい。被告の女性はなんと医者で、男性が突然倒れて亡くなったと供述していた。ところが埋葬直前に元警察官の葬儀社社員が遺体に不審な傷跡を発見、刑事が自宅を捜索したところ、天井に血痕を見つけて逮捕されたというもの。
 いやあ、こりゃ何ともすごい状況だ。医者という地位、埋葬直前の殺人発覚、元警察官の葬儀社社員なんていくらなんでも出来過ぎではないか。しかも事件とは直接関係ないにせよ、背景にはシムノンのナチ協力説とか、シムノンという偉大な作家の呪縛に苦しむ子孫の姿とかが浮き彫りにされていて、探偵小説にすればかなり面白そう、と言ったら不謹慎ですか。

 特につながりがあるわけではないが、「スイスのシムノン」という表現がぴったりくる刑事の登場する「探偵小説」を読む。フリードリヒ・グラウザーの『狂気の王国』である。
 何とも珍しいスイスの「探偵小説」。スイスへは一度だけ新婚旅行で行ったことがあるので、ちょっと感慨深いものもある。ああ、あの頃は若かった……(遠い目)。

 まあ、そんなことはおいといて。
 カギカッコつきで「探偵小説」とやったのは、もちろんこれが普通の探偵小説ではないからである。書かれたのは1930年代、スイスの精神病院を舞台にした殺人事件、作者は自らも精神病院に入院経験があるスイス人、そして翻訳者は種村季弘。オビには「探偵小説」と謳っているし、事件が起これば探偵も登場するが、上記の要素を見るだけでこれが探偵小説でないことは一目瞭然である。
 読了前の予想では、ミステリ寄りだとしても『ドグラマグラ』もしくは『薔薇の名前』のように哲学や思想、心理学を盛り込んで、正気と狂気の狭間を描き出す物語ではないかと思っていた。おお、それはそれで期待できそうだ。

 と思ったのが三日ほど前の話。いざ読み終えてみると、いや、なんとも読みにくいというか非常に居心地の悪い小説である。
 理由はいくつかある。まずは文章。セリフがいつのまにか地の文になっていたり、心理や思考が「」で表記されたりする。また、ーーや……の多用も辛い(セリフだけでなく地の文にも連発される)。
 登場人物の性格づけは悪くない。患者であろうが医師であろうがみな何かしら狂気をはらんだような口調。そのうえ行動も怪しい。それはありでしょう。しかし、その割にはソフトな語り口で物語が進むため、狂気の淵へ飲み込まれるというほどの衝撃はないし、逆説的な意味を求める読者を四苦八苦させるほどでもない。
 事件は事件として認識され、さらに第二の事件なども発生するが、それでも物語はなんとなく進んでいく。このぬるさがなんとも気持ち悪いのだ。主人公のシュトゥーダー刑事はそんな中途半端な混沌のなかにあって冷静に人々を観察するのだが、これまた自信がありそうななさそうな。シュトゥーダーの過去はハードボイルドの主人公に似つかわしいほど勇ましいが、そこまでの覇気は本書からは感じることができない。
 なんだか作者のグラウザーにはぐらかされているような気がする。これらがグラウザーの企てなのか狙いなのか(もしかすると訳者の狙い?)。これに続いて邦訳では二番目の紹介となる『クロック商会』も読むつもりなので、判断はそれを待って決めることにしよう。

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sugata

Author:sugata
ミステリならなんでも好物。特に翻訳ミステリと国内外問わずクラシック全般。
四半世紀勤めていた書籍・WEB等の制作会社を辞め、2021年よりフリーランスの編集者&ライターとしてぼちぼち活動中。

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