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 シオドア・マシスンの『悪魔とベン・フランクリン』を読む。
 マシスンの邦訳はほかに創元推理文庫の『名探偵群像』があるけれども、こちらはアレクサンダー大王、レオナルド・ダ・ヴィンチ、リヴィングストン博士、クック艦長、ナイチンゲールといった、歴史上の偉人を探偵役にした異色の短編集である。
 で、本作はその偉人探偵シリーズの長編版。主人公ベン・フランクリンはアメリカの政治家であり、物理学者でもあるが、よく知られているのは、何といっても凧を使って雷が電気であることを証明した実験のエピソードだろう。
 ただ、わが国ではそんな学者としてのイメージが強いのだが、本国アメリカではむしろ社会活動や政治活動を通してその人間性が称えられ、アメリカ合衆国建国の父の一人として人気が高い人物である。

 悪魔とベン・フランクリン

 ではストーリー。
 舞台は1734年のフィラデルフィア。地元で新聞を発行しているベン・フランクリンは、町の人々からも尊敬を集める人物だったが、あるとき社説で町の大立者マグナスの暴虐ぶりを批判し、マグナスを激怒させてしまう。
 呪いをかけるとまで脅されたものの、まったく意に介さないベン。しかし、やがてベンの周囲にさまざまな圧力がかかる。そして遂には使用人が行方不明となり、さらにはその甥が死体となって殺害されてしまう……。

 歴史物、しかもオカルト趣味ということもあって、掴みは悪くない。
 主人公が実在の人物とはいえ、やや出来過ぎのキャラクターではあるのだが、そのほかの人物はなかなかクセもあって特徴的だし、当時のアメリカの小都市の雰囲気も伝わってきてリーダビリティはなかなか高い。

 基本的にはもちろん殺人事件が中心。したがって犯人当てが謎の中心とはなるのだが、いわゆる本格にありがちな退屈さとは無縁。時代ゆえにオカルト趣味がうまく活かされている(恐怖を煽るという意味ではなく、伝説や超自然現象を普通に信じるという設定が生きているという意味で)。
 終盤も西部劇を思わせる対決から、“名探偵、町中の人間を集めて「さて」といい”のラスト。そして劇的な犯人の最期と怒涛の展開である。これが長編第一作のシオドア・マシスンだが、ストーリーを盛り上げる技術はなかなかのものだろう。

 謎解きの要素が少し早めに種明かしされてしまうのがやや惜しいけれど、エンターテインメントとしては十分楽しめる一冊。ちょっと変わった本格ミステリを読みたい人はぜひどうぞ。


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 本日は論創ミステリ叢書から『新羽精之探偵小説選I』を読む。
 新羽精之は1969年に探偵小説誌『宝石』でデビューした作家である。以前に感想をアップした著者唯一の長編かつ唯一の著書でもある『鯨の後に鯱がくる』は意外にも社会派ミステリだったが、本来は奇妙な味系の作家として紹介されることが多い作家である。
 とはいえ元々はがっつり本格志向だったようなのだが、『宝石』の短編懸賞で受賞したのが奇妙な味の「進化論の問題」だったため、そういう道もあるのかと方向転換したということらしい。
 まあ、管理人も新羽精之の短編はアンソロジーや探偵小説誌『幻影城』でいくつか読んだだけなので、実はその全貌をあまり理解しているわけではない。
 しかしながら今回本書の刊行によって、まとめて新羽作品に接することができ、その意外なくらいバラエティに富んだ作風を楽しむことができた。

 新羽精之探偵小説選I

「炎の犬」
「火の鳥」
「進化論の問題」
「美容学の問題」
「生存の意志」
「ロンリーマン」
「青いなめくじ」
「タコとカステラ」
「魚と幻想」
「坂」
「実験材料」
「素晴しき老年」
「マドンナの微笑」
「穴」
「罠」
「幻想の系譜」
「チャンピオンのジンクス」
「海賊船」

 収録作は以上。デビュー作の「炎の犬」から始まり、主な活躍媒体だった『宝石』が廃刊になるまでの時期の作品を収めている(以降の作品は『新羽精之探偵小説選II』に収録)。

 上でバラエティに富んだ作風ということを書いたが、本格から奇妙な味、歴史ミステリ、ブラックユーモア、ファンタジーっぽいものなどなど、作品ごとにかなり趣が異なっている。一応は全部まとめて奇妙な味と言えないこともないだろうが、これだけいろいろなアプローチができるなら、変に先入観を植えつけるよりは普通に短編の名手ということもできるだろう。とにかくアイディアという点では十分評価できる。
 また、アイディアだけでなく、そもそも本格好きということで、謎解きやトリック成分も決して低くはなく、いい感じで他ジャンルと融合しているのも良いところだ。

 ただ、着想は良いのだけれど、作品によってはどこかで読んだなとか使いまわしのネタもちらほらあるのは気になった(あくまでこの時期の作品に限ってだが)。
 また、文章も決して上手い方ではなく、ところどころで状況が掴みにくい表現もあるのはいただけない。

 以下、作品ごとの感想など。
 デビュー作の「炎の犬」は田舎の山犬の伝説をベースにした本格作品で、雰囲気も出来もまずまず。ただ、タイトルにもなっている“炎の犬”の正体はひどい(苦笑)。
 ちなみに「火の鳥」も似たようなレベルだが、いかんせん「炎の犬」と同じトリックを使っているのがまずい。よくこれを同じ『宝石』に投稿したものだ。

 代表作とも言える「進化論の問題」はやはり良い。未読の方はぜひ先入観なしに読んでもらいたい。そこはかとないユーモアも含みつつ、徐々にエスカレートする行為が、読者の想像をわしわしと掻き立て、恐怖を募らせる。そんなに文章が洗練されているとは思えないのだが、これはもう純粋にアイディアの勝利。
 そして続く「美容学の問題」がこれまた「進化論の問題」の延長線上で思いついたような内容で、この時期はまだまだアイディアの引き出しが少なかったような印象である。

 「生存の意志」は遭難した二人の若者の物語。著者自らイソップを引き合いに出しているように、大人のためのブラックな寓話である。掌品だが悪くない。

 孤独を愛する学芸員が主人公の「ロンリーマン」は、犯罪小説のような展開から、いつのまにかダークファンタジーでしたという物語。

 「青いなめくじ」は倒叙というか犯罪小説というか本格というか奇妙な味というか。なめくじミステリの佳作である。

 明治時代の佐世保を舞台にした本格という点で印象的なのが「タコとカステラ」。多岐川恭の『異郷の帆』あたりに刺激を受けて書かれたようだが、出来はいまひとつ。

 「魚と幻想」は療養所での看護婦殺人事件を描く。ある患者が素人探偵となり、毛嫌いしている男を犯人とにらんで追及するが、皮肉なラストが待ちかまえる。療養所が舞台というだけで、なんとなく探偵小説っぽさが数ランク上がるから不思議である。

 「坂」は解説でディクスン・カーばり云々とあるとおり、確かにトリックがカーを彷彿とさせて楽しい。これを長編でやられるとさすがに厳しいが、こういうこじんまりとした短編なら許容範囲だろう。

 「実験材料」はダークファンタジーもしくはブラックユーモア的作品。一歩間違えばコントみたいになる話だが、ぎりぎり堪えている感じか。

 「素晴しき老年」もブラックな笑いが効いている一作。アイディアの勝利。

 「マドンナの微笑」は美術品をめぐる事件を描くが、その他の作品に感じられる着眼の良さが出ておらずものたりない。

 「穴」と「罠」は長崎を舞台にした時代物。設定は嫌いじゃないがミステリとしては低調。

 「幻想の系譜」は経験主義を押しつける伯父によって苦悩する青年が主人公。伯父と主人公のやりとりがユーモラスで、構図としては「進化論の問題」を思わせる。どんでん返しはあるが、後味はほろ苦い。

 「チャンピオンのジンクス」は架空の外国を舞台にし、ボクサーを主人公にしたダークファンタジーといった趣。単独で見れば面白い作品なのだが、メインのネタが「進化論の問題」と被っているのがマイナス点。

 最後の航海に出る船に、なぜか荒くれ者ばかりを船員として雇った船長の思惑とは? 「海賊船」は海洋ものという特殊な舞台装置とミステリとしての驚きがうまくミックスされた佳作。若い水夫の眼を通して描かれるが、その構図が小説の味付けとしても、ミステリとしても効いている。

 ということで、欠点もそれなりにあるにはせよ、全体的にはなかなか楽しめる作品集といえる。論創ミステリ叢書も戦後作家が増えてきたせいか、やはりレベルが上がっている感はある。続く『新羽精之探偵小説選II』も期待できそうだ。


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 シムノンの『モンド氏の失踪』を読む。シムノンの文学寄りの作品をコレクションした河出書房新社の【シムノン本格小説選】からの一冊。

 こんな話。パリで会社を経営するノルベール・モンド氏は再婚した妻と二人の子供にも恵まれ、すべてが幸せに見えた。しかし、妻はいつしか彼のことを理解しないようになり、子供たちは精神的に自立できず、モンド氏に頼りきる暮らしであった。
 そんなある日のこと。モンド氏はなんとなく会社も家族も捨て、夜汽車でパリをあとにする。その先で出会ったのは男に捨てられて自殺を図った女との出会い、犯罪がひしめく裏社会、落ちぶれた最初の妻との再開。モンド氏はそこで何を得ることができるのか……。

 モンド氏の失踪

 新たな人生をやり直すというのは、とりたてて珍しいテーマというわけではない。ただ、これをシムノンがやるとまた一味違ってきてなかなか面白い。
 面白いポイントはふたつあって、ひとつは主人公がこれまでの暮らしを何もかも捨てさり、まったく誰にも知られることなく消え失せてしまうところだ。家族や同僚など残された者にはたまったものではないが、そういうことも一切気にせず消え失せる。
 そこにあるのは他者がまったく気づかなかった主人公の深い闇であり、そんなところに人の結びつきに対するシムノン自身の醒めた人生観がちらほら感じられて興味深い。

 もうひとつのポイントは、その実、主人公が失踪する確固たる理由がないところである。家族に対する失望や人生の目的を見失ったようなイメージは感じられるが、大きなきっかけになるような事件もなく、何が何でも人生をやり直すという決意もない。
 日々の暮らしの中でうっかりボタンを掛け違えたかのような、そんなレベルで主人公は自分を消してしまうのである。

 ただ、そんな失踪事件を起こした序盤は引き込まれるのだけれど、その後がいまひとつ。
 やり直すはずの人生が意外に波乱万丈で、ううむ、それまでの人生と対比する意味を持たせているのだとは思うのだが。モンド氏の絡みかたというか行動ルールがそれまでの生き方となんとなくズレている感じがして、いまひとつ納得できないのである。
 モンド氏は自分の人生を変えようとしているのであって、自分の生き方まで変えたいわけではない。その辺りの設定がやや混乱した印象で残念なところだ。

 モンド氏は結局ラストでもとの人生に帰っていくことになり、その人生は再び暗澹たるものになることが暗示されて幕を閉じる。このラストがたまらなくよいだけに、中盤が余計にもったいない。
 まあ、そんな不満もあるのだけれど、モンド氏の抱える心の澱は、案外、現代の日本のサラリーマンが抱えている悩みと似ている気がしないでもなく、そういう意味では考えさせられる一作である。


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 この一、二年で森下雨村や大下宇陀児、小栗虫太郎といった古い探偵小説作家の作品をぼちぼちとと復刊している河出文庫だが、いつの間にやら〈KAWADE ノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉というシリーズ名がつけられているではないか。
 昨年、森下雨村が出た頃にはまだなかったと思うのだが、こういうシリーズ名をつけたということは、これまでの作品がそこそこ売れて、ビジネスとして成り立ってきたとみてよいのだろうか。それとも単なるテコ入れ?
 今月は小酒井不木の『疑問の黒枠』も出るし、まあ、シリーズ名がついたからにはすぐに中止ということもないだろうが、何とかがんばって続けてほしいものである。論創ミステリ叢書は短編集が多いので、河出文庫ではぜひ長編中心で。

 ということで本日の読了本は、〈KAWADE ノスタルジック 探偵・怪奇・幻想シリーズ〉から甲賀三郎の『蟇屋敷の殺人』。
 まずはストーリー。

 東京は丸の内の路上で止まっていた高級自動車。不審に思った警官がドアを開け、運転手の男の肩に手をかけたときであった。男の首がずるりと膝元に転げ落ちたのだ。
 謎の首切断死体に警察はさっそく捜査を開始し、被害者は熊丸猛(くままるたけし)と判明する。しかし、なんとその熊丸自身が警察署に現れ、被害者の正体は謎に包まれる。しかもなぜか熊丸は自分の行動を明かそうとしない。
 ひょんなことからこの事件に興味をもった探偵小説家の村橋信太郎は、知人のつてを頼りに熊丸家を訪れるが、彼もまた命を狙われる羽目に……。

 蟇屋敷の殺人

 本格こそ探偵小説の主軸であると主張した甲賀三郎だが、その意に反して作品の多くはけっこうな通俗的スリラーであり、本作もまた然り。
 首の切断殺人というド派手な幕開けから、蟇だらけの屋敷、とことん怪しげな蟇屋敷の住人たち、のっぺらぼうの怪人、探偵役の主人公も刑事も命を奪われそうになるというスリリングな展開などなど、もうケレンだけで成り立っているといっても過言ではない。
 もちろんその真相も半分あきれてしまうレベルなのだけれど、何とか本格っぽく強引にまとめあげる豪腕はさすがであり、リーダビリティもとりあえずむちゃくちゃ高い。

 ただ、主要な登場人物の何人かが、主人公に事件に近づくなと言いつつその理由については固く口を閉ざしていたり、警察にも一切を黙秘するあたりは、大きなマイナスである。物語を引っ張ろうとする作者の魂胆がミエミエで、いわゆるHIBK派にも通じるイライラを感じてしまうのはいただけないところだ。
 もちろん例によってツッコミどころも満載なので、「面白い面白い」とはいいながらも、戦前の探偵小説に免疫のない人にあまりおすすめする気はない。復刻はありがたいかぎりだが、この面白さは果たして現代のミステリファンにどの程度受け入れられるのだろう?


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 『明智小五郎事件簿IX「大金塊」「怪人二十面相」』を読む。
 おなじみ明智小五郎の登場作品を事件発生順に並べたコレクションだが、ようやく九巻目に突入。本書ではいよいよ少年向け作品が収録されており、「大金塊」と「怪人二十面相」の二編という陣容である。
 ちなみに「怪人二十面相」は乱歩の少年向け第一作であると同時に、二十面相と少年探偵団が初めて登場する作品でもある。当然ながら事件発生順でも最初にくる作品かと思っていたが、なんと意外にも「大金塊」の方が先になるらしい。
 この辺りは編者の平山雄一氏による巻末の「年代記」に詳しいので、興味ある方はぜひそちらで。

 明智小五郎事件簿IX

 さてまずは「大金塊」だが、こんな話。
 ある夜のこと、資産家の宮瀬家に泥棒が入る。しかし盗まれたのは価値のある骨董品ではなく、一枚の破れた紙きれだった。だがこの紙切れこそ、先祖が残した莫大な金塊のありかを示した紙を半分にしたうちの一枚だったのである。
 宮瀬氏の相談を受けた明智小五郎は、助手の小林少年を使い、敵のアジトへ潜入させることを思いつくが……。

 「大金塊」は明智や小林少年は登場するものの、二十面相は登場しない。また、探偵小瀬というよりは冒険小説としての要素が強くなっているのが最大の特徴だろう。
 これは時局的に探偵小説そのものが不謹慎というふうに判断されたための作風転換であり、乱歩の少年向けとしてはやや異色の部類になる。それでも暗号の解読や敵アジトでの小林少年の活躍、少年たちの洞窟での冒険など盛りだくさんで、面白さは文句なし。むしろ子供向けとしてはより効果的で、十分成功作といえるだろう。

 続く「怪人二十面相」は、上でも書いたように、少年向け第一作であり、かつ二十面相と少年探偵団の初登場作品である。
 実業界の大物・羽柴壮太郎のもとに、いま世間を騒がせている怪人二十面相から、ロマノフ王家に伝わる宝石をいただくという予告状が舞い込んだ。奇しきも羽柴家では、家出をしていた長男の壮一が十年ぶりに帰国するという知らせも届き、再会した壮太郎と壮一は二人で宝石の見張りをすることになる。
 しかし、二十面相の意外な手段によって宝石は奪われ、さらには次男の壮二まで誘拐され、二十面相は荘二と引き換えに安阿弥の作といわれる観世音像を要求した。壮太郎は明智小五郎に相談をするが、あいにく明智は不在で、その助手の小林少年が駆けつけるが……。

 こちらも実に素晴らしい。管理人が初めて乱歩の子供向けを読んだのは小学三年生ぐらいの頃だが、あまりの面白さにそのままポプラ社のシリーズを残らず買ってくれとねだった記憶がある。
 推理の部分と冒険の部分の絶妙なバランス、数々のギミックやトリック、明智と二十面相の駆け引き、最後は子供ではなく必ず明智登場によってピリッと話が締まるところなど、いま読んでも色褪せるどころか、時を超えてなお輝きを放っている。
 さすがにトリッキーなネタのほとんどが(「大金塊」もそうだが)、よその作品からの借り物なのだけれど、まあ、それは時代ゆえのこととして見逃しましょう(笑)。

 書き出しの一文「そのころ、東京じゅうの町という町、家という家では、二人以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました。」
 そして締めの「明智先生ばんざあい」「小林団長ばんざあい」というセリフに至るまで、すべてが印象的。ああ、やっぱり乱歩はすごい。


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 マイクル・コナリーの『ブラックボックス』読了。
 二十年前のロス暴動事件の際に発生したデンマークの女性ジャーナリストが殺害された事件を追うボッシュ。ついに突き止めた凶器の拳銃から、なんと湾岸戦争との関わりが浮かび上がってくる。この拳銃こそ、ボッシュが信念とする“ブラックボックス”になる存在なのか?

 ブラックボックス(下)

 なるほど。上層部の圧力にも屈せず、あくまで一匹狼の姿勢を変えることなく捜査にこだわるボッシュの姿はこれまでどおり。娘や恋人との人間関係も彩りを添え、今回も安定の面白さではあるのだが、同時に物足りなさも感じないではない。

 その最たる原因は事件の弱さだろう。湾岸戦争の影が浮上するあたりではかなり期待させるのだが、その後の広がりが緩いうえに小粒である。国際的な陰謀にしろとまではいわないけれども、結局このレベルの事件かと思わせる肩透かし感。
 また、重要な情報が何でもかんでもインターネットで集まってしまい、ボッシュの捜査がとんとん拍子に進みすぎるのも気になる。 あっと驚くようなどんでん返しもなく、ひと昔前のネオ・ハードボイルドっぽい感じか。

 そんななかクライマックスだけはかなりのページを割いて、久々にボッシュの活劇が楽しめる。ここで一気にフラストレーションを解消させたいところだが、これはこれでボッシュが強引すぎたり、唐突に“助っ人”が登場したり、やや無茶な展開ではある。
 この“助っ人”の扱いをもっと掘り下げておけば、より可能性を感じる作品になった気もするのだが。

 ただ、それらがすべてマイナス要素というわけではなく、普通に楽しめるレベルであることはいっておこう。他の作家が書いていれば、おそらくもっと褒めていたはず。
 しかしながらシリーズを通してボッシュの変遷を追っている読者としては、これぐらいでは大満足とは言い難いのである。前作『転落の街』がなかなかの出来だっただけに、余計その思いが強くなった次第。


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 マイクル・コナリーの『ブラックボックス』をとりあえず上巻まで。
 ロス市警の未解決事件班で任務にあたるハリー・ボッシュの次なる事件は、二十年前に発生したロサンジェルス暴動の最中に起こった殺人事件だった。1992年。暴動によって荒れ狂うロスで、一人の外国人女性ジャーナリストが殺害される。取材中での強盗被害かと思われたが、暴動騒ぎのなかで十分な捜査は不可能。ボッシュも別の事件へと外されてしまう。
 それから二十年。ロス暴動20周年ということもあり、当時の未解決事件を集中して捜査することになったボッシュは再び外国人女性ジャーナリスト殺害事件を追うことになる。だが、またしてもボッシュの前に市警上層部の政治的圧力が……。

 ブラックボックス(上)

 タイトルになっている「ブラックボックス」とは、事件の解決につながる鍵のことをいい、すべての事件にはブラックボックスがあるという。ボッシュはそのブラックボックスの存在を信じて捜査を続ける。
 政治的圧力や娘さんとの交流などといった味付けはいつもどおりながら、リーダビリティは相変わらず高い。若干、おとなしめの展開が少々気になるところだが……さて、下巻ではどの程度、物語が広がるか。
 詳しい感想は下巻読了時に。


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 本日は論創ミステリ叢書から『坪田宏探偵小説選』。
 坪田宏は1949年に探偵小説誌「宝石」でデビューした作家である。解説によると、戦後の引き上げ時から広島に在住し、本業のかたわら、若い頃から興味のあった小説の創作も続けていたらしい。そういった条件の割には執筆ペースはなかなかのもので、デビュー二年目にして短編六作を発表しており、創作にかける著者の意気込みがうかがえる。
 だが好事魔多し。1953年には長男を亡くし、翌54年には胃潰瘍から癌を発症して、なんと四十六歳という若さで早逝した。

 本書はそんな坪田宏の業績をまとめたものだが、中篇が意外に多いことから、いつものように一冊or二冊でほぼ全集とはいかなかったようで、シリーズ探偵の古田三吉ものをすべて収録した選集となっている。
 収録作は以下のとおり。

「茶色の上着」
「歯」
「二つの遺書」
「非常線の女」
「義手の指紋」
「宝くじ殺人事件」
「下り終電車」
「勲章」
「俺は生きている」
「引揚船」
「緑のペンキ罐」
「宝石の中の殺人」

 坪田宏探偵小説選

 管理人はこれまで坪田作品をアンソロジーで二、三作ぐらいしか読んだことはなく、普通に本格系の作家とイメージしていたのだが、今回初めてまとめて読んだことで、プラスアルファの部分が見えてきたことは面白かった。
 基本は確かに本格探偵小説である。トリックや謎解きをきちんと物語の中心に据えていることは確かなのだが、その部分だけに注目していると、「まあ書かれた時代を考えるとこんなものか」という評価にしかならないだろう。正直、トリックなどはそこまで驚くようなものはない。

 だが、それでは坪田宏の作風を完全に言い表せたことにはならない。面白いのはそういったトリックなどを踏まえたうえで、物語の構造に仕掛けがあったり、テーマの追求など作品全体へのアプローチがあるところか。
 たとえば「茶色の上着」などはトリックそものよりも、そのトリックの扱い方に趣がある。「二つの遺書」や「義手の指紋」にしても、実はトリックよりもプロットに面白みがあり、「勲章」は設定と登場人物の味わいで読ませるといった按配。
 そういった作品ごとの工夫が、犯罪が行われた背景や作品のテーマを鮮明に浮かび上がらせ、ただの本格とは一味違った読後感をもたらす。そういう意味ではなんとなく先日読み終えた笹沢佐保とも少し似ているのかもしれない。

 できれば収録されなかった中篇を『坪田宏探偵小説選II』としてまとめ、二冊で坪田宏全集としてほしいものだ。


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  若いときから海外ミステリ中心に読んできた管理人なので、国内作家は一部の作家をのぞくとあまり縁がなかったのだが、ここ数年で1960~1980年あたりに活躍した作家を意識的に読んでいる。もとから読みたい作家はごろごろいたので、そのうちにという気持ちはあったのだが、やはり『本格ミステリ・フラッシュバック』はいいきっかけになっている。

 で、本日はそんな作家のなかからもう一人、開拓してみた。笹沢左保である。
 笹沢左保といえば「木枯らし紋次郎」の作者というのがもっとも通りがいいだろうが、もともとは乱歩賞を契機にブレイクした作家であり(受賞はできなかったが)、本格からサスペンスまで幅広い作品を残している。
 とはいえ時代物やサスペンスのイメージが強いこと、多作家であることなどから、ついついこれまで敬遠してきたのだが、実はミステリに関してはいろいろなチャレンジをしているのはマニアには知られているところ。そろそろ自分の中で読みごろの感じも熟してきたので手に取った次第である。

 ということで本日の読了本は笹沢左保の『招かれざる客』。まずはストーリー。

 商産省の所有する土地の利用法をめぐり、組合と省側が激しく対立していた。ところが組合の闘争計画が省側に筒抜けになっており、組合の幹部は国家公務員法に抵触したことで全員が処分を受けてしまう。
 組合敗北の原因は内部にスパイがいたことだった。組合はまもなく組合員・鶴飼をスパイと特定し、その背後関係を明らかにしようとしたのもつかの間、鶴飼は商産省の階段で殺害されてしまう。さらにはその組合員の愛人であり、スパイ活動に手を貸していた女性・細川も命を狙われるが、彼女と同居していた無関係の女性が誤認されて殺されるという事件まで起こる。
 警察はスパイを働いた男に激しい恨みを抱く組合員・亀田を容疑者とにらんだが、その亀田は事故で死亡し、事件は落着したかに見えた……。

 招かれざる客

 組合と役所の対立という社会派的な設定、前半の記事や報告資料というスタイルの記述のため、正直、最初はなかなか乗れなかった。もちろん、これはこれで作者の狙いだとは思うが、むしろ導入としては面白みに欠けてしまい企画倒れの感が強い。
 ところが、そこを抜けると話は違ってくる。スタイルも主人公・倉田警部補の一人称となり、ストーリーの様相も社会派から一気に本格寄りにシフト。しかも、その中身が暗号あり、密室あり、アリバイ崩しありとギミックてんこ盛りである。そのひとつひとつの疑問を少しずつコツコツと明らかにしていく様はクロフツを彷彿とさせる。

 しかし、本書が素晴らしい本当の理由は、そういったトリックを踏まえて明らかになる事件の様相だろう。
 確かに密室やアリバイなどのトリックのひとつひとつも悪くないのだけれど(とはいえ時代ゆえのトリックの古さはあるけれど)、事件の様相が明らかになることで、本作のテーマがくっきりと浮かび上がり、静かな感動を与えてくれるのだ。

 惜しむらくは先に書いたように、序盤の記述スタイル。また、主人公の倉田警部補が本当にたった一人で解決までもっていくため、物語としてはやや面白みに欠けるところだろう。倉田警部補自身のドラマも多少は描かれるのだが、ここも少々とってつけたような感じで物足りない。これが処女長編だけに、ストーリー作りはまだ成長途上だったのかもしれない。
 プロットは文句ないけれど、魅力的なストーリーに消化するところでもたついた印象である。

 ともあれトータルでは十分満足できるレベル。このほかにも意欲的な作品がまだまだ残っているので、当分は楽しめそうである。


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 本日の読了本は橘外男の自叙伝『私は前科者である』。
 橘外男といえば文壇から距離をおいた無頼派の作家というイメージ。その経歴も無頼派にふさわしく、若い頃から荒れた生活を送って旧制中学を退学になったり、父親から勘当されたり、挙げ句の果てには横領で実刑判決をくい、服役経験まである。
 その後も前科者の烙印を押されたことで底辺の生活を送っていたが、妹の死をきっかけにもともと興味のあった小説を書き始め、やがて自らの経験を活かした『酒場ルーレット紛擾記(バー ルーレット トラブル)』が実話小説の懸賞に入選。ついには『ナリン殿下への回想』で、直木賞を受賞するに至る。
 戦時中には満州に移住したりもしたが、その経験も戦後の執筆活動に活かされ、その作品はSFや幻想小説にまで及び、非常にバラエティに富んでいたが、橘外男は常に自らの作品を実話小説と呼んでいたという。

 私は前科者である

 さて、本書は自叙伝ではあるが、書かれている時期はかなり限られている。
 具体的には刑務所から釈放された直後からほんの数年間のこと。すなわち出所できたはいいが前科者という立場では思うように勤めがみつからず、徐々に社会の底辺に落ちていく時期。どん底を経験したのち、あることをきっかけに再びまともな職につき、これが思いがけない出会いを生んで、ようやく仕事の運が向き初めてくるという希望の知らせで幕を閉じる。

 したがって本書内では創作や小説についての記述はほとんどない。まだ創作に手を染めてない時期の話であり、それがなんとも期待外れでもあり残念でもある。まあ、そもそも本書は前科者に対するエールの書なので、それも致し方あるまい。
 当時は今と違って前科持ちに対して非常に厳しい時代だった。とりわけ橘外男は家族からも見捨てられた立場で、就職に保証人が必須であることから、普通の勤めはほぼ選ぶことができない。それでも時代ゆえのゆるさもあって履歴書や保証人を偽ることもできるのだが、それもばれると最悪である。
 橘外男はそういう負のサイクルにどっぷりはまって転落の一途を辿るのだが、それを救ってくれたのはやはり人の縁や恩である。彼はその体験をもとに、前科者に対して決してあきらめるな、自棄になるなと応援してくれる。そういう本なのである。

 ただ、確かに探偵小説的な興味はほとんど満たされないけれど、書かれている内容は単純に驚くばかりである。当時の底辺社会を描いた小説や映画で多少は知識があるけれど、やはり実体験だけに描写が細かい。まあ、そうはいってもなんでも実話小説と謳っていた橘外男の自伝なので、もしかしたらかなり話を盛っている可能性はあるけれど(苦笑)。
 橘外男はもともと厳格な軍人の家庭に生まれた。そのしつけの厳しさに対する反発、あるいはいいところの生まれという甘え、その両方がないまぜになって道を踏み外したと思われる。だから橘外男の心情や立ち直るまでの道筋には、必ずしも全面的に共感できるわけではないのだが、だからこそ興味深く読めるところはある。
 橘外男の熱烈なファンなら、といったところか。

 なお、管理人は古本の新潮社版で読んだが、調べてみると現在はインパクト出版会版が現役の模様。ううむ、ミステリとはまったく縁のない出版社なので完全ノーマーク。復刊されていたことも知らなかったぞ。


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