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 ゴードン・マカルパインの『青鉛筆の女』を読む。久々にまったくの予備知識なし、店頭で帯のキャッチに惹かれて買い求めた本である。
 なんせ惹句が煽る煽る。下手にまとめるのもあれなので、ここはそのまま引用しておこう。

MWA候補の超絶技巧ミステリ
書籍・手紙・原稿で構成される、三重構造の驚異のミステリ!
2014年カルフォルニアで解体予定の家から発見された貴重品箱。その中には三つのものが入っていた。1945年に刊行されたパルプ・スリラー。編集者からの手紙。そして、軍支給の便箋に書かれた『改訂版』と題された原稿……。開戦で反日感情が高まるなか、作家デビューを望んだ日系青年と、編集者のあいだに何が起きたのか? 驚愕の結末が待ち受ける、凝りに凝った長編ミステリ!


 ここまで書かれたら、そりゃあ気にはなる。しょぼい叙述トリックで終わるような予感もしたが、著者は若い頃にゲームや映画のシナリオも書いていたようだから、メタフィクション的なものにはけっこう慣れている気もするし、ここはだまされたと思って読んでみた次第である。

 今回、ややネタバレとなるので未読の方はご注意ください。

 青鉛筆の女

 まあ、結果からいうと、確かに凝った構成ではあるけれど、そこまで衝撃的な作品ではなかった。メタフィクションそのものを目的とするのではなく、著者の確固としたメッセージがあって、それを効果的に伝える手段としてのメタ的要素である。
 では、そのメッセージとは何かという話だが、それは第二次世界大戦中のアメリカにおいて行われた人種差別。しかも対象は日系人。もちろん、それは日本軍の真珠湾攻撃に端を発したものであり、そのため当時の現地の日系人がどのような悲劇に見舞われたかというものである。

 上手いといえば上手い。
 そのメッセージを主張するために、著者はまず日系人タクミ・サトーという作家志望の青年が書いた『改訂版』というハードボイルド小説を披露する。これが便箋に書かれた未刊の原稿である。
 その作中の主人公、日系人のサム・スミダは大学の教員で、最近、妻を殺人事件で失ったばかりである。しかし、警察が真剣に捜査をしているように思えないスミダは、自ら調査に乗り出す。ところが彼が入った映画館で停電が起こり、再び明かりがついたときから、不可思議なことが起こる。彼がこれまで生きていた痕跡がすべて失われ、学校や自宅の知人もみな彼のことを覚えていないのだ。

 この発端だけでも引きこまれるが、著者はここで第二の矢を放つ。それが女性編集者(すなわち青鉛筆の女である)からタクミ・サトーにあてて書かれた手紙である。
 編集者は「時勢柄、日系人を主人公にしては誰も本を買わない。他の国の東洋系にして、日系スパイと対決させるような話にしよう」と持ちかけるのだ。その指摘はもっともなものであり、サトーのことも非常に親身になって考えてくれているようであった。

 そして三本目の矢。タクミ・サトーが編集者の意向にそって書き直したと思われる、1945年に発表されたスパイスリラー『オーキッドと秘密工作員』である。
 主人公は韓国系の刑事ジミー・パーク。彼は映画館で起こった殺人事件に遭遇し、その影で暗躍する日系女性を追いかけてゆく。
 魅力的なのは、この『オーキッドと秘密工作員』と『改訂版』がプロットを共通とした対の物語になっていることだ。すなわち『オーキッドと秘密工作員』では捜査する側、『改訂版』では容疑者側を主人公とし、物語を両面から描いているのである。『改訂版』・書簡・『オーキッドと秘密工作員』、それぞれのパートが一巡したところで、もう読み進めずにはいられない。このリーダビリティは確かにすごい。

 まず注目すべきは、やはり二つの物語の真相だろう。特に『改訂版』は主人公のことを誰も覚えていないという状況があり、まあ、似たようなミステリは他にもあるが本作の場合はそれが徹底しているので、その仕掛けはさすがに気になるところだ。
  ただ、ここでひとつ疑問がおこる。『改訂版』の第一章は編集者が眼を通してはいるものの、第二章以降は『オーキッドと秘密工作員』として書き直して進めているだけに、その後の原稿はどうやって書かれたのかということだ。
 そして、それこそが著者の企みのひとつになっている。

 もうひとつ注目したいのは、この二つの物語をはさむ編集者とタクミ・サトーの関係性。時局が悪化する中、二人の周囲も慌ただしくなり、サトーにいたっては日系人収容所に連行されてしまう。
 編集者もまた夫を戦争で失い、『オーキッドと秘密工作員』の執筆と修正を通し、二人の絆がますます強まるように思えていくのだが実は……。

 とまあ、匂わせるような書き方はしてみたが、本作のメッセージは先にも書いたように、戦時の日系人の運命である。それは『改訂版』と『オーキッドと秘密工作員』を通しても描かれるのだが、実は書かれなかった物語=編集者とタクミ・サトーの物語において、もっとも強いインパクトを残すのである。
 『改訂版』がどのように書かれたのか、その裏にはどういう理由があったのか、なぜ『改訂版』の主人公、サム・スミダの存在が世の中から消されてしまったのか、どんでん返しと共にすべてがラストで暗示される。このプロットの組み立ては素直にほめておきたい。

 ただ、こういうふうに書いていると実に面白そうに見えるのだけれど、最初に書いたように、正直そこまでの満足感はないし、衝撃も受けなかった。
 その理由を考えてみるに、ひとつはラストのわかりにくさか。明快な説明を避けているのはかまわないけれど、暗示としては地味すぎるというか。これではどんでん返しをどんでん返しと気づかない人もいそうである。本当は腰砕けの作品ではないのだが、きちんと読まないと腰砕けにみえてしまうという不幸。
 また、そういった凝りすぎた構成や技巧の結果、そちらにばかり意識が誘導され、逆にメッセージ性を弱めることにつながっている。訴えたいことは非常にシンプルなだけに、それが技巧とそぐわないというか。ラストのわかりにくさも問題だが、むしろこちらのほうが罪は重いかもしれない。
 なんとも惜しい一作である。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 江戸川乱歩の『明智小五郎事件簿VIII 「人間豹」』を読む。おなじみ明智小五郎の登場作品を事件発生順に並べたシリーズだが、これでようやく八巻目。通俗長篇スリラーのタームに入ったせいか、毎月読んでいるとさすがにちょっと飽きてきてしまい、前巻の「吸血鬼」から三ヶ月ほど間をあけての再開である。

 裕福な家庭に生まれ育った神谷青年の最近のお目当ては、カフェの女給・弘子。今日もカフェに出向いてはアルコールと会話を愉しんでいたが、そこへ別のお客・恩田から弘子に指名が入る。いったんは拒否した神谷と弘子だったが、そのお客のただならぬ風貌——巨大な眼と長い舌——に気圧され、弘子は仕方なく相手を務めることにする。
 その日の帰り道。恩田を見かけた神谷は思わず後をつけるが、その途中で恩田が犬を惨殺するところを目の当たりにし、あまりのショックに神谷は体調を崩してしまう。
 ようやく復調し、久しぶりにカフェへ出向いた神谷。しかし、弘子は行方不明となっており、神谷は恩田が怪しいとにらみ、以前にあとをつけた恩田の家を訪問する。ところがそこで恩田の父親に監禁され、しかも弘子が恩田によって惨殺される現場を目撃する……。

 明智小五郎事件簿VIII

 プロローグ的な事件でも相当なものだが、本作はこのあとも恩田=人間豹の暴れっぷりがたっぷりと描かれ、加えて明智小五郎が登場する中盤以降では、明智の妻、文代をめぐって丁々発止の闘いが繰り広げられる。
 とにかく乱歩の通俗スリラーもくるところまできたという感じである。特に文代が恩田につかまってからの展開は本作のメインイベント。裸で熊の着ぐるみに入れられ、恩田に鞭で打たれたり、本物の虎に襲われたりと、エログロ趣味も濃厚。
 もちろんそんなお話しなのでミステリ的な興味は非常に薄く、アクションとスリラー、エログロの三本柱で読者をワクワクハラハラドキドキさせればそれでよいという、まさに娯楽小説のど真ん中のような作品といえる。

 管理人的にはこれまでの感想でも書いてきたように、この路線でも全然OKなのだが、ミステリ的な仕掛けが薄いこと、ストーリーが波瀾万丈に見えて実は繰り返しが多く単調だったり、そちらのほうが残念だった。
 子供向けを含め、これが三〜四回目ぐらいの読了になるのだが、子供の頃はそれなりにドキドキして読んだものの、いまは物足りなさが先に立つ。乱歩の通俗長篇スリラーでも落ちるほうだろう。


テーマ:推理小説・ミステリー - ジャンル:本・雑誌


 タイトルどおり日本のミステリの歴史をたどった一冊。2014年に出た本だが、こういうものが新書で出るということ自体なかなか珍しい。
 もともと岩波新書や中公新書といったノンフィクション系の新書の使命は、あくまで一般的な教養書である。そこにマニアぐらいしか興味のないようなミステリの歴史というテーマをもってきて、果たして需要があるのかどうか。出版不況のなか、国産ミステリは比較的健闘しているほうとはいえ、人ごとながら心配である(苦笑)。

 日本ミステリー小説史

 まあ、それはともかく。
 せっかく新書で出してくれたからには、ミステリをたまに読むという程度のファンやミステリ初心者が、こういう本でミステリをより深く好きになってくれればいいわけで、そういう意味では十分に意義あることだろう。
 もちろん新書なので、内容的にそれほど深いものを期待してはいけないのは当然。むしろ即席でミステリ通ぶれるような、そんな俯瞰的な紹介をしてほしいところである。

 ところがそんな観点で本書を読んだ場合、その期待は裏切られることになる。その理由は、日本ミステリ史を構成する史実のバランスの悪さに原因がある。
 具体的に目次を見ると……

序章 ミステリー小説の誕生
第1章 ミステリー到来前夜の日本
第2章 最初の翻訳ミステリー
第3章 邦人初の創作ミステリー
第4章 ピークを迎えた明治二十六年
第5章 雌伏の四半世紀―ミステリー不遇の時代
第6章 捲土重来―盛り返してきたミステリー
第7章 探偵小説から推理小説へ
第8章 現代への潮流

 という感じで、本文は約260ページほど。
 わが国でミステリがミステリとして認知され、広く親しまれるようになったきっかけはやはり雑誌「新青年」や乱歩の登場によるところが大きいと思うのだが、これらの頃が紹介されるのはなんと第6章、180ページ前後のことなのである。これはあまりに遅すぎる。
 したがって以降はかなりの駆け足。さすがに乱歩については多少ページを割いているもの、残りは横溝正史、松本清張、仁木悦子らの大物をさらっとまとめている程度に留まる。
 紙面に限りのある新書のこと、作家の紹介が少ないというつもりはないけれども、 そもそもミステリとしての流れや発展は「新青年」誕生からが肝だ。戦時の統制や影響、各ジャンルの栄枯盛衰、出版社の動向など、重要な事実は山ほどあるわけで、触れられていない重要な事実が多すぎるのは残念としかいいようがない。
 つまりは「日本ミステリー小説史」と謳っているにもかかわらず、扱っている時代とジャンルが狭すぎ、とても日本のミステリー小説史を俯瞰できるようなものではないということである。

 では、著者は「新青年」以前のページでいったい何を書いていたのかというと、それこそわが国でミステリがミステリとして認知される以前のミステリについてである。
 まずは聖書に始まり、ギリシア神話やシェークスピアなど、西洋におけるミステリ要素を含んだエピソードや作品の紹介。舞台を日本に移すと、今度は江戸後期の大岡政談、明治期の翻訳物、涙香の翻案もの、そしてそれらの動きが近代の文壇に与えた影響などなど。

 で、実は著者がもっとも書きたかったのが、最後の「ミステリが近代の文壇に与えた影響」ではないかと推測できる。本書の著者、堀啓子氏はそもそも明治文学、特に尾崎紅葉の研究をしている方で、その研究を通して紅葉が海外の小説から影響を受けていることを知り、そこから当時人気だった翻訳ミステリへと興味がつながっていったらしい。実際、この明治期の部分が本書中もっとも力の入っている部分でもある。
 ただ、それならそれで「日本ミステリー小説史」などと大上段に構えず、「ミステリーの夜明け前」とか「乱歩以前」とか、素直にそういう縛りやタイトルにすればよかっただろう。江戸から明治にかけての記述など、読み応えのある部分もあるだけに、中身と外側がまったく一致していないことが、とにかく本書の最大の不幸である。
 そういえば本書の帯には、「なぜ日本はミステリー大国になったのか」という惹句があるのだが、本文にその答えは明示されていない。まあ、これは著者より編集者の責だろうが、こういうのも読者には傍迷惑なだけであろう。

 ちなみにAmazonを見ると相当辛いレビューが多いけれども、作家の紹介の分量や言及される内容については少々こだわりすぎであり、さすがに新書にそこまで望むのは酷な気がする。まあ、間違いの類は確かに困るが。
 それよりも管理人的には、『日本ミステリー小説史』というタイトルに見合った、適切な内容と売り方をしてほしかったということに尽きる。せっかくミステリファンが注目するような内容なのだから。


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 R・D・ウィングフィールドの『冬のフロスト』下巻を読了。
 デントン市内で起きた数々の事件は未だほとんどが未解決。マレット署長からは経費の節約と逮捕率の向上を口やかましく言われ続けるなか、フロスト警部は部下モーガンの失敗をかばいつつ、なんとか捜査を進めている。
 そのなかで最後まで混迷を極めるのが、悪質さではピカイチの少女誘拐事件と売春婦殺害事件。ついには女性刑事を使った囮捜査を開始するが、そこでまたもやモーガンが痛恨のミスを犯し、デントン署はは最大のピンチにみまわれる……。

 冬のフロスト(下)

 まずは安定した出来映えで、十分にフロストワールドを楽しむことができた。
 パターン自体はいつものとおりで、ミステリとしての仕掛けは特別大きなものもないのだけれど、複数の事件を同時進行させて、その絡み具合やドタバタを楽しむというスタイル。相変わらずプロットをしっかり作り込み、ストーリーにきちんと落とし込んでいるのはさすがである。
 このあたりは初期の作品より後の作品ほどこなれている印象がある。

 そしてそれを彩るキャラクターの魅力的なことよ。マレット署長とフロストのやりとりはいつもどおり笑えるし、今回はフロストから「芋兄ちゃん」と呼ばれるフロスト以下のダメ刑事・モーガンが大活躍。
 とはいえ本作では正直、やりすぎの嫌いもないではなく、ここまでダメな刑事をかばうフロストの心情がもうひとつ伝わりにくいのが難点か。
 フロストシリーズの魅力として、普段は勘に頼った行き当たりばったりの捜査しかできない下品オヤジのフロストが、ここぞというところでは自分を押し通し、人間味を見せるところがある。やはり根本は人間賛歌なのである。そこが読者の共感を呼びにくいエピソードになってしまうと、素直に笑えなくなってしまう難しさ。
 本作ではモーガン痛恨のミスが、まさにその状況を生んでしまい、その部分では不満が残るところだ。
 もしかすると次作というか最終作『フロスト始末』でフォローや違った展開があるかもしれないので、そこは期待したいところである。

 ともあれそんな気になる点も含みつつ、全体では十分に合格点。さあ、次はいよいよ最終作『フロスト始末』か。


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 R・D・ウィングフィールドの『冬のフロスト』を上巻まで。
 今月末にはいよいよフロスト警部シリーズの最終作『フロスト始末』が出るようなので、さっさと未読の一作を消化しておこうという目論見である。まあ、十分に面白いシリーズだし、すべて順番に読んできてはいるのだが、個人的には本書の分厚さが少々ハードルになっていて、気づけば四年間も放りっぱなし。『フロスト始末』刊行の知らせに、ようやくその気になった次第である。

 冬のフロスト(上)

 さてフロスト警部シリーズといえば、ユーモアを味付けにしたモジュラー型の警察小説。フロスト警部を初めとするデントン署の個性的な面々が、次から次へと管内で発生する大小とりまぜたいくつもの事件を同時進行で捜査する。その目一杯詰め込んだドタバタぶりと、それが最後にはきちんとクリアされる読後感の良さが最大の魅力だろう。
 本作でも冒頭から、少女誘拐事件、売春婦殺害事件、コンビニ強盗、怪盗”枕カヴァー”、大量の酔っ払いなど、とにかく事件のオンパレード。これがどういうふうに繋がるのか、関係あるのかないのか。ひとつひとつはややこしい事件でもないが、過剰なまでの事件数が、すこぶる状況を悪化させ、そして読者を楽しませてくれる。

 本作も上巻まで読んだところではすこぶる快調。すでにいくつもの伏線が回収され、解決された事件もあるが、メインとなる事件はまだまだ混迷を極めている。
 フロストは、そして著者はこれをどうやって収束させるのか、下巻にも期待である。


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 論創ミステリ叢書から『丘美丈二郎探偵小説選I』を読む。
 丘美丈二郎は1949年に雑誌「宝石」の短編コンクールでデビューした、元パイロットという異色の経歴の持ち主。SFや探偵小説を中心に作品を残したが、小説の数は少なく、特撮ファンの管理人としては、東宝特撮映画の『地球防衛軍』『宇宙大戦争』『宇宙大怪獣ドゴラ』などの原作者としてのほうが馴染みがある。
 なお、丘美丈二郎の作品集は本邦初、しかも本書と続刊の二冊で全集となっており、毎度のこととはいえ実に素晴らしい。

 丘美丈二郎探偵小説選I

「鉛の小函」
「翡翠荘綺談」
「二十世紀の怪談」
「勝部良平のメモ」
「三角粉」
「ヴァイラス」
「佐門谷」

 収録作は以上。
 パイロットというキャリアが直接的に活かされた作品は少ないが、東大の工学部出身の作家ということもあってか、SFや怪奇をベースにしつつ、その真相は徹底して合理的・科学的に解明するというスタイルが大きな特徴だ。
 SFはもちろんだが、やはりそれが効果的なのは怪奇系の探偵小説においてである。現実からかけ離れた恐ろしい事件と、あっけないほどのリアリティ。そのギャップが大きいほど驚きも大きいし、印象にも残る。

 そういう意味では探偵小説作家として大化けする可能性を非常に秘めた作家だったと思うのだが、実際にはそうならなかったのは、ストーリー作りがそれほど上手くないことが大きかったのではないか。
 たとえば謎解きの場面など本来はクライマックスであるはずの部分が、そういう見せ場も作らず説明的に終わらせる作品が多く、実にもったいない。また、終盤の謎解きシーンにかぎらず、物語にそれほど直結しないところでの科学的・哲学的講義めいた文章も多く、この辺のバランスの悪さがとにかく気にかかるところである。文章はそれほど下手というわけではないのだが、とにかく急に小説から論文テイストになるのは困ったものだ。
 『地球防衛軍』の原作を香山滋がチェックした際、「もっとロマンを…」と批評されたというが、それもむべなるかな。

 とはいえその点に目をつぶれば、決して嫌いなテイストではない。「翡翠荘綺談」「二十世紀の怪談」「勝部良平のメモ」「ヴァイラス」「佐門谷」あたりは上でも書いたような欠点を存分に含みつつも(苦笑)、設定や導入、アイディアなどは捨てたものではない。
 特にアンソロジーで比較的多く採られている「佐門谷」は、古典的な怪談話を一刀両断するかのような話で個人的にはベスト。ただ、解説を読むと乱歩の当時の評価はけっこう低かったようだが(苦笑)。あとは短いながらもSFミステリちっくな「ヴァイラス」も悪くない。
 ただ、「宝石」でコンクールに受賞したSF作品「鉛の小函」はタイトルからして結末の予想がついてしまい、いま読むと劣化が厳しい。序盤と中盤の雰囲気のちぐはぐさ、終盤の説明がくどいのもマイナス点で、当時だからこそ、その発想が評価された作品というべきだろう。

 ともあれ丘美丈二郎というマイナー作家の全貌を掴むのにこれ以上の本はないし、しかも資料価値だけでなく全体的にはそこそこ楽しく読める一冊である。続く『丘美丈二郎探偵小説選II』にも期待したい。


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 論創海外ミステリからパトリック・クェンティンは『死への疾走』を読む。
 ピーター・ダルース・シリーズ最後の未訳作品である。出版社がばらばらだったり、原初の発表順とはまったく異なる順番だったので、シリーズとしての面白さはやや損なわれているけれど、ともかくはシリーズ全作が日本語で読めるようになったことに感謝したい。
 まあ、これからシリーズを読もうとする人は、ピーターとアイリス夫妻のドラマという側面も楽しんでいただきたいので、ぜひ原作の発表順で読んでいただければ。

 まずはストーリー。
 『巡礼者パズル』に続く物語なのだが、奥方のアイリスはほぼ出番なし。ピーターが一人メキシコで巻き込まれる事件となる。
 ピーターはメキシコで脚本などを書きながら日々を過ごしていたが、そこで一人の女性と出会う。ピーターはその女性が何者かに追われているのではないかと危惧するが、確かめる間もなく、彼女はクレーターに墜落して命を落とす。
 やがて追っ手の手がピーターにも及んだとき、ピーターは彼女が自分に何かを託したのではないかと考えるが……。

 死への疾走

 謎解き重視からサスペンスや犯罪心理を重視する作風に転化していったパトリック・クェンティンだが、本作もそんな端境期的作品のひとつだろう。
 ただし、内容的にはそういう端境期的な微妙なところやまとまりのなさ、バランスの悪さなどはまったく感じさせず、これはもう潔いぐらいにきっちりしたサスペンス作品となっている。
 ピーターの周囲に敵がいるだろうというのはすぐに明らかにされる事実だが、それはいったい誰なのか、周囲の誰も信じられなくなるという状況でストーリーを引っ張り、ほどよいどんでん返しの連発が気持ちよい。
 全般的に異色作揃いといってもよいぐらいのピーター・ダルース・シリーズだが、本作は一周回ってむしろ万人が楽しめる作品になったのではないだろうか。

 あえてケチをつけるとすれば、あそこまでどんでん返しをやると、正直、犯人が誰でもよくなってくることか(笑)。サスペンスに本格風の味付けを盛り込む腕前はさすがだが、やはり最後の一撃は特別なものであってほしい。

 あと非常に個人的な感想にはなるが、「訳者あとがき」でピーターの女癖の悪さについて言及していたが、そこに注目するような話でもないだろう。解説が充実しているだけによけい差が目立つというか、せっかくの「訳者あとがき」だから、もう少し頑張ってほしいものである。

 

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 久々に梶龍雄を一冊。ものは『連続殺人枯木灘』。
 太平洋戦争末期のこと。焼津港から前線に向かう貨物船が消失した。陸軍司令部からの密命を受け、新開発の武器や研究員を積載していたが、その存在も極秘にされていたため、敵潜水艦あるいは機雷による沈没と判断され、その事実も歴史に埋もれていった。
 それから三十年後。和歌山県枯木灘の山中で、ある昆虫マニアが何者かに襲われて命を落とす事件が起こる。友人の宇月与志雄は事件現場を訪れ、関係者から村の人々から話を聞いて回るが、その周囲に不穏な動きが起こる……。

 連続殺人枯木灘

 梶龍雄の作品を読むのはおそらくこれが九作目だが、これまでの作品の中ではけっこう異色作の部類だろう。なかには『大臣の殺人』などという正真正銘の異色作もあるが、まあ、あそこまではいかないにしても、知らずに読めば梶作品とは思えない一作だった。

 一般に梶作品の魅力は謎と論理に忠実な本格であることが挙げられるだろう。加えて初期のものは過去の出来事、とりわけ戦争が現代に暗い影を落としているものが多く、代表作といわれるものほど叙情性も豊かである。
 本作も戦争を扱っており、その意味ではお得意のパターンといえないこともないのだが、その絡み方は『透明な季節』や『海を見ないで陸を見よう』などとはまったく違う。
 ぶっちゃけ本格ミステリというより、謀略小説や冒険小説のノリなのである。前半はそれでも本格風といえなくもないが、後半ではある計画がスタートすることで一気に弾け、いったい梶先生どうしたのかと思うほどだ。

 ただ、事件の鍵を握る部分では、きちんとトリックや意外な真犯人を用意しており、結局これがやりたかったから、謀略小説や冒険小説の衣を借りたのだろうとは推察できる。
 とはいえ序盤で少々風呂敷を広げすぎであり、この物語にそこまで謀略小説的な設定が必要だったのかは疑問である。
 結果としてなんともちぐはぐな印象が強く、駄作とまではいわないが、トータルでは他の傑作に一歩も二歩も譲る出来となった。



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 本日は創元推理文庫の古いところで、マニング・コールズの『ある大使の死』を読む。管理人の所持しているのは三版のカバ欠け本で、実に地味な書影なのが残念。

 ある大使の死

 著者のマニング・コールズはスパイ小説を中心に、1940年から1960年ごろまで活躍した英国の作家。日本ではそれほど人気も出なかったようだが、本国ではコンスタントに作品を発表し続け、長編だけでも二十五作あるので、けっこう人気があったことがうかがえる。

 ちょっと面白いのは、著者のペンネームが、シリル・ヘンリー・コールズとアデレイド・フランシス・オーク・マニングの合作ペンネームであるということ。二人とも第一次世界大戦を経験しており、それが作品に反映されているのは想像に難くないが、とりわけコールズは通常の兵士としての経験だけでなく、語学が得意だったことから諜報活動に従事していた。
 この体験がコールズの運命を決定づけたようで、戦後も普通の会社員生活などにまったく興味がもてず、十年近く世界各国を放浪したり、気が向いた地で働いたりと自由気ままに暮らしていたらしい。そしてようやく父親の住むハンプシャーに帰ってきたとき、隣家に住んでいたのが、もう一方のマニングである。
 マニングは小説家志望の女性で、生活の足しにすべく執筆をしていたが、それほど簡単にはいかず、悩んでいたところだった。それを見ていたコールズが小説の共作を申し入れたという。
 二人の共作の内情などは明かされていないようだが、書かれた作品がほとんどスパイ小説らしいので、コールズの兵士やスパイとしての経験、世界を見て回った体験が生かされていることは間違いなく、それをマニングが小説として書き起こしていったとみるのが妥当だろう。

 さて、ちょっと前振りが長くなったが、『ある大使の死』はこんな話。
 六月のある日、ロンドンの駐英エスメラルダ大使館で、客の応対中だったテルガ大使が銃殺されるという事件が起こった。
 客の男は即時、エスメラルダ大使館に拘束されたが、治外法権をたてにとる大使館は事件の背景や犯人の素性をまったく公表する様子がない。業を煮やした英国諜報部ではエスメラルダに顔の効く諜報課員トミー・ハムブルドンを調査に向かわせた。
 ところが犯人と目された男は自力で大使館を脱出、そのまま警察に保護される。事情聴取の結果、彼はフランス人のデュボアと判明し、犯人ではないことは明らかになったが、それでもどこか怪しい様子。
 やがて釈放されたデュボアだったが、今度はなんと彼が爆殺されてしまう……。

 マニング・コールズの作品は初めて読んだが、これははなかなか微妙である。いや、それほどつまらないというわけではない。テンポの良い展開、適度に散りばめられたアクション、プロットもまずまずきちんと組まれており、退屈することなくすいすいと読める。
 ただ、本書を読むかぎりあまりスパイ小説という雰囲気がないのが物足りないというか、はぐらかされたというか。導入はそれなりにスパイものの雰囲気もあるのだが、全体的に軽目のトーンもあって、むしろ味わいはライトな警察小説やサスペンス小説に近い。
 これは事件の真相の性質も大いに関係しているのだが、そういう真相を持ってくること自体ちょっとピント外れな感もあり、スパイものに仕上げる必要性が感じられないのである。

 そもそも初期のトミー・ハムブルドンものはかなりシリアスなシリーズだったらしく、内容もそちらのほうが評価されているらしい。
 それがシリーズが進むにつれ(007の影響などもあったのだろう)、少しずつエンタメ重視のタイプに変わってしまい、内容的にも評価を落としているようだ。本作はまさにその後期に書かれた作品であり、初期の代表作を読むとだいぶ印象も変わってくるのだろう。
 ちなみにそちらのシリアス系は新潮文庫から『昨日への乾杯』、『殺人計画』が出ており、機会があればそちらも読んでみたい。


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 『美女と野獣』といえばディズニー製作のアニメ映画が定番だったが、これからはビル・コンドン監督の実写化した『美女と野獣』も一緒に語られるようになるかもしれない。世間ではアナ雪を超えたとか超えないとか何やら評判もよろしいようなので、本日ようやく観にいってきたのだが、まあ、これは楽しくできている。

 美女と野獣


 考えたら製作がそもそもアニメ版でがっちりツボは押さえているのである。楽曲や映像、見せ場など、最新の技術を加え、しかも人気俳優を起用すればまず外すことはないだろう。
 もちろん今更衝撃を受けるような内容ではない。ミュージカルとしても物語としても、ほぼほぼお客さんの予想どおりであり、正直、期待以上でも期待以下でもないはずだ。そのうえで最低でも確実に80パーセントぐらいの満足度を提供してくれるところが、ディズニー映画の、そしてビル・コンドン監督のすごいところだろう。
 原作もちょっと気になるので押さえておくべきか? その場合はやはり白水社の完全版がよいのだろうか? 宿題である。



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